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2006年6月17日 (土)

医療に想う その3

高齢者の医療費が改正されて負担が増えた。財源が足りないと言う。

かっては食べられなくなった時点で寿命を迎えたが、今は色々な方法の点滴で栄養と水分の補給が出来る。そして更に酸素吸入、人工呼吸の延命措置が計られる。装置を外したといって医師が訴えられたりもする。意識のない人を一日も長く延命することが重要だろうか。本人の意識、応答が全くないのに、人工的に機械で動かし、機械で心電図の僅かな波動を読み取って、生きていると言うのである。機械装置が動いているだけなのである。

長年意識、応答のない人を機械で動かして、生きているかの様に見せかけている方が残酷でないか。                                                                                                                                                            家族が装置を外してとは言いにくい面がある。つけた医師が勇気を持って外す事である。 

有識者とか偉い学者さんは家族のそんな場面に臨場しないから、意識の無い人に本人の同意を得てなどと笑えることを堂々と言い、倫理などと持ち出す。恐ろしい倫理観の欠如である。                                                  金儲け主義の医師会の手先か、設備メーカーの関係者か、長寿国日本を誇りたいのかと疑う。植物人間などとも言う、失礼だ。植物は自力で生きているのである。

私は全国に長年意識がなく機械によって生きていると認定されている方がどれだけ居るか分からないが、一年以上の人(機械)の装置を総て一斉に外してみたらどうだろうと思う。病院のベットは空くし、設備は空くし、負担費用はゼロになるし、医療出費は下がるし、医師は訴えられる心配はなくなるし、家族はほっとするし、良いことだらけである。

自然に従って生きる。が基本なのである。

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