2008年8月31日 (日)
捨てる
新聞のテーマ「備え」という投稿欄に「徐々に老い仕度」という題名で75歳の男性の投稿が載っていた。“今の私にとって、備えとは捨てることだ。”と言い切り、本、写真、手紙、愛着のある小物類を捨てること。こうした作業を老い仕度と名付け進めているという。
共感する。私の今年のテーマの一つは「捨てる」であったからだ。年初は思い切って本や資料を処分したが、急速に鈍って停止状態である。未だ4ヶ月ある、復活して老いに備えよう。
今一番容積を占めているものは何か、殆ど聞くことのない両翼に大きなスピーカーを備えた昔のsonyのステレオボックス、レコード類か。それより数多くの58×46×4センチの大きさの特撰フレームか。
2008年8月26日 (火)
貧しき人々の群
ふっと“小説「貧しき人々の群」宮本百合子”の活字が目に止まった。大正5年の著書である。
私がその小説を読んだのは10代の時であるが、よく覚えている。
百合子の祖父は1872年に福島県に赴任し安積開拓に尽力したと伝えられ、孫の百合子がそれを見ていて小説にしたと聞いている。
他に「愛情はふる星のごとく」という文章もはっきり記憶しているのだが、百合子自身のものか定かでない。他に百合子の「二つの庭」がある。
(人民評論2月号に「愛情は降る星の如く」という尾崎秀美氏の書簡が載っていると聞く、弾圧で獄中にいた人である)
今プロレタリア文学を代表する「蟹工船」小林多喜二著が若者の間でブームになっていると聞く。私が読んだのは昭和45年である。
この機会に「貧しき人々の群」の舞台になった地元、こおりやま文学の森資料館や開成山公園でも訪ねてみるか。
2008年8月24日 (日)
北京オリンピク雑感余話
星野監督率いる野球ジャパン:メタルなんかに届かなくたってよいのだが、プロの選手を集め、みんな偉そうなこ とを言っていて、やっていることは国内の消化試合の様なもので、感動の一場面もなかっ たし、何も伝わって来るものがなかった。サッカー男子と同じである。
久々に民放で突出した良い番組に出会った。
静岡第一テレビ、8:00ザ・サンデー 徳光さん司会の番組である。途中からだが、
2.女子ソフト全16人生出演
3.オリンピックの夏
恋人達に贈る幻の詩 というタイトル。
2.では空港に出迎えた元監督の宇津木妙子さんに、投手の上野由岐子が抱きついてメタルを掛けてあげてい た。感動のシーンであった。
上野投手の両親の応援風景、出演中に斉藤春香監督へのウイニングボールの贈呈、各自ボードへの一言で は、二人の選手が 「2球はない」と書いていた。
3.では8月と言えば戦争を忘れてはいけないと、美空ひばりの幻の詩を伝えていた。
オリンピクだけに偏らずに、番組を編集した方に敬意を表したい。
美空ひばり唯一の反戦の歌、「一本の鉛筆」戦争はいやだ、である。
そしてB面の「8月5日の夜だった」を映像をまじえて紹介していた。
この二つの番組をそのまま小、中学校の教材に使ったらどうだろう、何か訴えるものがあるとおもうのだが。
(お笑いくずれの騒がしいだけの民放の中で、静岡第一テレビを見直した)
2008年8月23日 (土)
北京オリンピック雑感
未だ終わった訳ではないが、日本女子の活躍が目立ったし、多くの感動や勇気を貰った。
柔道女子:金メタルの上野雅恵、谷本歩実他、塚田真希、中村美里など
レスリング女子:金メタルの吉田沙保里他、伊調千春、伊調馨など
卓球女子:近藤欣司監督、福原 愛、福岡春菜、平野早矢香、中国の強さに圧倒された。愛さんが「家族に感 謝」と言っていたのが印象的であった。
サッカー女子・なでしこジャパン:佐々木則夫監督のもと、エース沢 穂希ほか、「気持ちで戦う」と言い4位に入った。
バトミントン女子ダブルス:末綱聡子、前田美順ペアーが中国トップのペアーを破った瞬間は実に感動的なシーンであった。これだけでメタルなんかよい。4位は立派。
ソフトボール女子:輝く初の金メタル、上野由岐子の力投、気合、精神力、かって心臓手術をしたことのある西山 麗の活躍、坂井寛子は「自分とチームを信じて頑張ろう」と言い、上野は「負けられないという気持ちだけでした」と語り、斉藤春香監督は「上野とは心中するつもりだった」と語っている。元監督の宇津木妙子さんは解説していて、言葉にならなかった。
シンクロナイズド・スイミング:鈴木絵美子、原田草穂ペア、はやさ、高さで「先生を勝たせたいために」と言って、井村雅代監督率いる中国を破った。
コーチ金子正子チームリーダーは「良かったわよ」と言って初めて褒めたという。銅メタルが輝いている。
マラソン女子:残念だが練習で頑張り過ぎたのでなかろうか。コーチの責任が大きい。
それにしても男子は、水泳や陸上のリレーなど賞賛する種目もあるが、サッカー男子のふがいなさ。スピードは全くないし、ゴール目指してのキックもヘナチョコボール、選手、監督、協会役員は猛反省し、なでしこジャパンを見習うべきであろう。
2008年8月15日 (金)
63回目の終戦の日
8月15日
玉音放送があってから63回目の終戦の日を迎えた。
昭和天皇は大元帥閣下であって東条英機大将の上に君臨し、御前会議に出席し、まつりごとを行ってきた。その意味での戦争責任は極めて重い。
戦後国民にはっきり謝罪の言葉を述べたことがあるだろうか。記憶にない。
今の天皇もそのことに深くおもいを致すべきであろう。
私の父も応召で戦地に赴き幸いにも無事帰還した。タグボートで港に着いた時の情景は未だに忘れられない。幼稚園児の時だった。
皇居に行く位なら靖国へ、でも戦犯合祀の問題が立ちはだかる。こんな簡単なことも片付けられない日本なのだ。
やさしかった兄さんが、田舎の話を聞きたいと、櫻の下でさぞかし待つだろおっ母さん、あれが あれが九段坂、逢ったら泣くでしょ兄さんも。
島倉千代子が昭和32年に歌ってヒットした「東京だヨおっ母さん」の一節である。
マスコミは終戦の日より、オリンピック報道で騒がしい。
2008年8月14日 (木)
戦後63年の夏
8月14日付け新聞の「戦後63年の夏」と言う投稿欄にいくつかの投稿が寄せられていた。
①悲惨な横浜大空襲:69歳の主婦から
私が小学一年生だった昭和20年5月29日、横浜大空襲があった。当時中華街に住んでいた私達家族は、けたたましいサイレンの音に、前のビルに逃げ込んだ。しかし、間もなくものすごい音とともに炎があたりを包んだ。私達はガラス戸をたたき割ってビルから逃げ出した。――、今でも炎に包まれた中華街の光景をよく覚えている。―― 。
私はその日横浜の南、三浦半島の動員先で空襲警報の中あまりの爆音に壕から出て空を見上げると、米軍機がかなり低空で堂々と編隊を組んで幾重にも幾重にも通過して行った。要塞地帯であったが高射砲一つ打たれなかった。
何処かがやられる。それが横浜大空襲であった。私は14歳の中学生であった。今私の孫が丁度小学一年生である。
②学童疎開した宿に感謝の念伝えたい。:72歳の男性から
私は1945年(昭和20年)4月に山形県に学童疎開し玉音放送はそこで聞いた。
疎開先は旅館だったと記憶しているが、当時9歳だった私は詳しくは覚えていない。
70歳を過ぎたころから、一度は訪れるべきだという一念が強くなってきた。
「お世話さま」の一言ぐらいは、必ず伝えなければいけないと思う。
と結ばれている。
私の家内も近い年齢で新潟県に学童疎開していた体験があり、折にふれてその時の話が出ることがある。投稿者の気持ちが十二分に伝わってくる。
2008年8月13日 (水)
悪名高き後期高齢者医療制度
後期高齢者医療制度が如何にひどいものであるかを改めて痛感した。
市役所から高齢者医療保険料支払い方法の変更の通知が来た。希望により、年金から差っ引くのでなく要件を満たせば口座振替も出来るとのこと。
書類を準備して市役所に行ってみた。窓口に行って番号札を取って唖然とする。今出ている番号から94番目である。百人近い人が待っていて未だ間違いなく二時間以上掛かりますと職員が言っている。待って、待ってやっと手続きが終わると、今度は銀行に行って口座振替依頼をして下さいという。
年金から差し引く時は勝手にやったのに、支払い方法を変えるには半日仕事であった。
2008年8月10日 (日)
佐鳴湖花火大会
昨日、夕方真っ黒な雲に覆われて危ぶまれたが、雨は全く降らずに佐鳴湖の花火大会が実行された。
夜空に舞う幾重もの大輪の花火、時間を置いてドーンという轟音。
私は二階のベランダからひとりで眺めている。広島の原爆慰霊祭、長崎の原爆慰霊祭が終わったばかりで、
今週終戦の日がやって来る。その情景が花火の向こうに浮かんだ。
花火が終わって静かになると、どこからか秋の虫の初声。季節は動いている。
2008年8月 2日 (土)
恵みの雨が降ったものの
恵みの雨が降ったものの、農作物は目に見えて変化がない。山の様にとれたいんげんも勢いが止まり、夏野菜は終わりを迎えている。今元気なのはオクラとニガウリか。農作物は季節の移ろいに敏感である。



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