63回目の終戦の日
8月15日
玉音放送があってから63回目の終戦の日を迎えた。
昭和天皇は大元帥閣下であって東条英機大将の上に君臨し、御前会議に出席し、まつりごとを行ってきた。その意味での戦争責任は極めて重い。
戦後国民にはっきり謝罪の言葉を述べたことがあるだろうか。記憶にない。
今の天皇もそのことに深くおもいを致すべきであろう。
私の父も応召で戦地に赴き幸いにも無事帰還した。タグボートで港に着いた時の情景は未だに忘れられない。幼稚園児の時だった。
皇居に行く位なら靖国へ、でも戦犯合祀の問題が立ちはだかる。こんな簡単なことも片付けられない日本なのだ。
やさしかった兄さんが、田舎の話を聞きたいと、櫻の下でさぞかし待つだろおっ母さん、あれが あれが九段坂、逢ったら泣くでしょ兄さんも。
島倉千代子が昭和32年に歌ってヒットした「東京だヨおっ母さん」の一節である。
マスコミは終戦の日より、オリンピック報道で騒がしい。
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