« 悪名高き後期高齢者医療制度 | トップページ | 63回目の終戦の日 »

2008年8月14日 (木)

戦後63年の夏

8月14日付け新聞の「戦後63年の夏」と言う投稿欄にいくつかの投稿が寄せられていた。

悲惨な横浜大空襲:69歳の主婦から 

私が小学一年生だった昭和20年5月29日、横浜大空襲があった。当時中華街に住んでいた私達家族は、けたたましいサイレンの音に、前のビルに逃げ込んだ。しかし、間もなくものすごい音とともに炎があたりを包んだ。私達はガラス戸をたたき割ってビルから逃げ出した。――、今でも炎に包まれた中華街の光景をよく覚えている。―― 。

私はその日横浜の南、三浦半島の動員先で空襲警報の中あまりの爆音に壕から出て空を見上げると、米軍機がかなり低空で堂々と編隊を組んで幾重にも幾重にも通過して行った。要塞地帯であったが高射砲一つ打たれなかった。
何処かがやられる。それが横浜大空襲であった。私は14歳の中学生であった。今私の孫が丁度小学一年生である。


学童疎開した宿に感謝の念伝えたい。:72歳の男性から

私は1945年(昭和20年)4月に山形県に学童疎開し玉音放送はそこで聞いた。
疎開先は旅館だったと記憶しているが、当時9歳だった私は詳しくは覚えていない。

70歳を過ぎたころから、一度は訪れるべきだという一念が強くなってきた。
「お世話さま」の一言ぐらいは、必ず伝えなければいけないと思う。
と結ばれている。


私の家内も近い年齢で新潟県に学童疎開していた体験があり、折にふれてその時の話が出ることがある。投稿者の気持ちが十二分に伝わってくる。

|

« 悪名高き後期高齢者医療制度 | トップページ | 63回目の終戦の日 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。