もう忘れている
暦をと思ったら忘れていて、休日だけを赤にするのに
大変手間取ってしまった。
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年配の女性から寒中見舞いを頂いた。”くれぐれも転ばないようにしてくださいませ”と書いてある。
昨年外出先で転倒し、大けがをされ現在もリハビリ中とのこと。他にも転倒し怪我をされた女性がいる。
慎重の上にも慎重で行こう。
先日お近くの女性が亡くなられたと思ったら、今度は義兄が亡くなったという。いずれも葬儀場が混んでいて
ひよりに関係なく葬儀は約一週間の待ちであるという。なんということだ。
早く節分が来て鬼さんを追い払わないとと思うこの頃である。
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約半月振りに街に出た。連尺の彩画堂で補充の画材を購入、肴町の文具店タケヤで注文品を購入、
狭い路地を通り抜けて大通りに出、エンテツ百貨店へ。
ロゼでお近くの方Tさんのやっている展示会へ、絵と2年前から始めたという陶器の展示がされていた。
小さな兎が可愛かった。
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越後の田舎で小正月になると、庭の大きな柿の木の幹に切り込みを入れて、そこにあずきがゆを供えてお祈りし
た。”沢山なぁーれ”と言ったか”なりもっそ”と言ったか覚えていない。 ばーばが恋しい。
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今年初めての絵に挑戦、画材を補充したしと思ったが葉にこだわり、意外に時間が掛かった。
忘れないうちに紹介しょう。写真を撮り、トリムし、縮小し、保存。続に画像の挿入か。
名前はスケッチ時は「小さな秋」だったが「晩秋」に変えた。
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小学生の孫がいる。テレビのマンガなどをよくみている。携帯は持っているしバレー教室や水泳にも行き、塾にも通っている。Aさんのフアンクラブにも入っていて、フアンクラブから年賀状が届く。何か変だと思いませんか。
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浜松に私が長年お世話になっているスナック、パブ、クラブがある。
スナックは肴町にあり、今年30周年を迎えるという。私は26年目である。
パブは千歳町にあり、私は開店からで18年目。
クラブも千歳町にあり、私は29年目であるが、毎年行く様になってからは11年目である。
昨年は体調不良で、何処にも顔を出せなかったが、今年は出せるかな。
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旅紀行九州編より-1996年に豊後竹田に泊り、夜飲みに出た。大きな町ではないので、飲み屋街がある訳ではない。ふと小恋路(おれんじ)という提灯が眼に入った。
入ってみると初客で、年配の女性がひとり居た。棚に何とも美なる姫だるまが置いてあった。
”ここいらへんでも、前の年に予約して置かないと手に入らないの”妙に納得。
帰るまで二人きりだった。 お姉さん健在だろうか。
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今日、DVDに収納してある多くのファイルをフォルダーを作って集約しすっきりさせた。
おかげでデスクトップも、4つのアイコン、タスクバーは6つのアイコンのみとなった。
何だか出来るひとのPCの様に見えてきた。
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石打は地図で見るとなんと今は南魚沼市になっているではないか。
上野発の夜行列車の名は”銀嶺”。
快晴の雪山は、教会の祈りにも似ている。
雪山の夕映え、雪に覆われた村の夕暮れは実に美しい。
半世紀も前のことである。
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2日の午後トイレつまりが発生した。外のマンホールを開けてみても異常はない。さあ困った。
こんな時は「クラシアン0120-26-8919」?3日の8時半に恐る恐る電話してみると、”非常に混んでいますが、13時頃伺います”とのこと。もう一度電話が入り30分位早く来てくれた。
現場を見、聞いて、大きな水鉄砲の様なものを持ってきて、一度引き押し出すと一回で、どっと流れた。
良かった。代金は何をしても定額8千円。紹介しておこう。>
昔、昔、正月は決まって石打スキー場にあるh民宿に泊って、スキーを楽しんだ?。
民宿のはじめで、早朝駅に着くと、屋号を入れた灯りの入った提灯を掲げたお兄さん達が、宿泊を勧誘していた。
と或る青年に着いていったのが、はじまりで、後は毎年なので予約しなくても何とか都合をつけてくれた。
普通の2階建ての民家で、囲炉裏傍で食事し、風呂は薪をたいた。お嫁さん健在だろうか。
現在と違い上野駅は夜行列車に乗るのに、地下道まで長い行列ができ、乗ってもスキーを立てたまま持ってデッキで立ったまま身動きの出来ない状態であった。
お兄さんはスキー1級の指導員で、難しい技術を教えて貰った。両親も健在で当時珍しい外国製のカメラが自慢であった。
スキーは自分の限界への挑戦だから面白い。
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