ジョイントコーラスフェステイバル
十一月六日
昨日、家内の所属するコーラスグループは、横浜みなとみらいホール大ホールにて
第15回ヴサン ジョイントコーラスフェステイバルに出演した。
練習に練習を重ね、3日祝日にはジョイントで最後の練習をして望んだ。
衣装まではよいにしても、老齢の方もいるので横浜みなとみらいホールまで行くのが
大変。新幹線、桜木町までの切符の手配、お弁当の手配、その他。
舞台ではどうであったか知らないが、先生やパートリーダーの方、ご苦労さま。
十一月六日
昨日、家内の所属するコーラスグループは、横浜みなとみらいホール大ホールにて
第15回ヴサン ジョイントコーラスフェステイバルに出演した。
練習に練習を重ね、3日祝日にはジョイントで最後の練習をして望んだ。
衣装まではよいにしても、老齢の方もいるので横浜みなとみらいホールまで行くのが
大変。新幹線、桜木町までの切符の手配、お弁当の手配、その他。
舞台ではどうであったか知らないが、先生やパートリーダーの方、ご苦労さま。
十一月三日
昨日の夕は南西の風が吹き荒れ、街路樹を揺すり、落ち葉がカサコソと鬼ごっこ。
西の空を、真っ赤な太陽が緋なる夕映えに染め、東の空には雲間に望の月が
浮かび、杖を持った老人が風の中をセカセカと歩いている姿が見られた。
十月三十日
秋になると甘いケーキ類や冷凍菓子に変わって、果物が食卓を飾る。
先ず大粒の葡萄、巨峰。そしてリンゴ、色々の銘柄がある。冷たくしての梨。
次郎柿、おわりはみかんである。
それぞれの色、形、風味をアピールしている。 今日は十三夜である。
十月二十五日
今日は佐鳴台公民館まつりである。
且ってここで一緒に学んだ女性仲間は、今は押しも押されもしないリーダーや先生として、活躍されている。
その生徒さんの作品を見に、行って見た。(本音は素敵な女性仲間に逢いにかもしれないが)。
皆さん、私の体調を心配され、温かく迎えいれて下さった。有り難いことである。
十月二十三日
久し振りに写真をプリントしてみたら、プリンターが目詰まりしている現象が出たので、
相当な回数クリーニングをしたら、今度はインク不足のウオーニングランプが点滅、
6色パックを購入したら6千円。
更に不具合が出て、依頼して置いた電話機が用意出来てきて、交換したら2万5千円とか。
更にカーテンの交換にも来られるという。今月は特別支出過多である。
十月二十日
自動車運転免許高齢者講習の案内が県公安委員会から届いた。
前回の3年前は教習所が一杯でぎりぎりになったので、直ぐアクションをとったら、T自動車教習所に入れた。
早い方を希望したら10月20日に決まった。
当日行ってみると、女性で80歳を超えている方や男性で90歳の方もいる。
講習予備検査;視力検査、視野測定、記憶力検査、時計を画き時間を入れる。他。
高齢者講習 :機械操作による運転適性診断、実車による教習所コース走行診断。
最後に免許証更新時に警察に提出する高齢者講習終了証明書が貰える。
受講時間は3時間、費用は6.000円であった。
十月十九日
車があまりにも汚れた儘なので、洗車に出そうと思って出掛けた途中で、エンジン警告灯が点灯し直ぐに近くの
修理店に入れる様に指示が出た。初めてのことで慌てた。
丁度洗車先がN販売店だったので、話すと先に点検して呉れ、スパークプラグ他に不具合があると言う。
今直ぐに決めて部品を取り寄せれば、夕方には交換出来るとのこと。
注文を決め、洗車して貰い一旦戻って何年振りかでワックス掛けをやったら、見違える様にきれいになった。
部品、及び交換費用53.000円なり。痛い。
十月十四日
今日はさっくんの8歳の誕生日である。我が家でお祝い会をすることになった。
家内はEデパートに行き食材を仕入れ、あとはすべて手作りの料理、デザートである。
リクエストのあった鳥の骨つきもも肉は、クリスマスシーズンではないので、凄く大きいし
数も少なかったらしい。一つづつ油であげる。他に鳥肉を水炊きにする。
サラダ、野菜の煮付け、海産物の煮付け、漬物、白いごはんに味噌汁。
大きなテーブルを出して準備OK。
一番に来たのはさっくんで、買って貰った玩具を見せたかったらしい。
怪獣を倒すものらしく、ステックが5本あって何処かに差し込むと、それぞれ別の音が出るし、別の色がでる。V字形に開くと必殺技になるという。
上のあーちゃんはバレーのレッスンで、8人皆が揃ったのは19時をとうに過ぎていた。
司会はあーちゃん、はじめの言葉、指名はパパ、終わりの言葉はママ。
あーちゃんから、さっくんに分からない様に、皆 にクラッカーが手渡され、合図と共に
“おめでとう” パン、パンパン、パン、パーン。七色のテープが飛び乱れる。
このあと食事、動物の絵合わせゲーム、終わりはいちご入りのケーキ、さっくんの言葉もあつた。
孫は知らない間に成長し、企画までする様になった。なんと有り難いことであろう。
十月十三日
女人が私のブログを訪れ、且つコメントを下さったりすると、何故か【平家物語】“巻十にある [横笛] が浮かんで
きます。相手は [滝口入道] 。
念仏の鈴の音を頼りに、嵯峨野の奥にありと聞く瀧口が庵を訪ねたり。
“ 瀧口様ッ、横笛にござります”。

十月十二日
t.s.さんが自身のブログに、ブログ投稿が、1.000回を超えたと書かれていた。
私もレッスンを受け同じ頃に始めたので、少々興味を持って調べてみた。
t.s.さんの約2.5分の1で、これまでと同じペースでは,達成迄には平均寿命を超えてしまう。
件数を目標にしていないので、これまで通りでやっていこう。
訪れる方がいらっしゃれば、大変に嬉しい。
十月十日
この頃暗くなると、庭でチィッチイー、チィッチイーと高い声で鳴く虫がいるが、名前が分からない。
耳を澄まして聞いてもチンチロではない。懐中電灯で実態をとらえてみれば分かるかな。
十月九日
今年9月12日に種まきした大根や蕪は、順調で一週間後には芽が出てうろ抜きもしたが、
10月4日に行って見ると、虫にやられた様で全滅状態である。今から蒔き直して育つものやら。
雨の日が多かったし、愛情が足りなかったかな。
昨年は愛情過多で日除けをして、直ぐ外さなかったらもやしの様になって全滅し、蒔き直ししたし、
今年も台風が去った10月9日に予めおくのブロッコリー苗とおくの大根種を購入して、
畑に行って見ると、何とブロッコリーも大根も茎まで何かに食べられていて、跡形もない。
はじめてのことである。めげずに苗を植え、種を蒔いて見守ることにする。
長い間無農薬野菜を育てているが、はじめての経験で大変なものである。
十月八日
何年振りかの猛烈な台風(18号)が伊勢湾から東海地方に上陸し、関東、東北、北海道と日本列島を縦断して海上に抜けると言う予報が早くから報じられていた。
実際には浜名湖、遠州浜よりやや西よりの三重半島から渥美半島に上陸し、長野、仙台と縦断、時間も浜松では、8日午前と言われていたが、未明であったらしい。
我が家では、日頃閉めていない雨戸も全部しっかり閉めて、懐中電灯のありかを確認して、比較的早く就寝した。
翌朝、家族は<あんなに猛烈な風と雨知らなかったの?>と怪訝な顔。
私は未だに療養のため、一日6種類の薬を飲んでいるためか。朝、障子がブアブア音しているので、目が覚めた。
家内が<停電ですよ>と言う。<オール電化のお宅はこんな時困るでしょうね>。
我が家はガスも来ているし、灯油もあるし、工夫すれば、何とかなるかも知れない。
ただテレビは見れないし、トイレもすぐ困った。簡易トイレを出せば何とかなるかな。
11時頃には青雲が見え始め、13時には青空に変わった。各地で大きな被害のない事を祈る。
十月七日
トヨタ自動車は世界一の企業であり、別名トヨタ銀行と呼ばれている。
経営陣トップは,日本経団連の要職にあり、財界に君臨している。
この度トヨタ労組出身者が政界の閣僚に連なり、政治を支配し始めている。
労使で地方の三河から、日本の政、財界を動かす。
トヨタ銀行の次の夢は何か。
十月六日
中川元財務相が亡くなった。56歳と言えば働き盛りだったのに。ご冥福を祈る。
拉致被害者家族にも信頼が厚かった様だし、きっといい人だったんだな。
弔問に訪れた何人かが、人前に係わらず男泣きしていたもの!
何故か、名月赤木山や人生劇場の歌詩、舞台場面が浮かんだ。
作詞 矢島寵児 名月赤木山
男心に男がほれて 意気が解け合う赤城山
澄んだ夜空のまんまる月に 浮世横笛 誰が吹く
作詞 佐藤惣之助 人生劇場
やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか
義理がすたればこの世は闇だ なまじとめるな夜の雨
リハビリの為の夕方の散歩をしていると、東の空に真ん丸のお月様、今日は十五夜。
すすきと円い真っ白なお団子を、お供えしましょう。
十月四日
今日は広沢小学校の運動会の日である。ずっと雨降りの日が続いたのに、昨夕より晴れて、暑い位の好天である。
あーちゃんとさっくん好かったね。
十月五日
春日八郎さんが歌っていた<赤いランプの終列車>(作詞;江口夜詩)という歌がある。
青い車体色の寝台特急列車はデッキがレバー付き手動式のドアーになっていて、最後尾には赤いランプが左右に二つ点いていた。
この赤いランプが霞んで見えなくなる迄、プラットホームで旅立ちの身内を、そして恋人を見送ったのは何時のことだったろうか。気が付けば夜霧にむせび降る星が。
<赤いランプの終列車>歌詞
白い夜霧の灯りに濡れて、別れ切ないプラットホーム、
ベルが鳴る、ベルが鳴る、さらばと告げて手を振る君は、
赤いランプの終列車。
十月三日
今朝テレビで別所温泉の松茸料理を紹介していた。丁度10月に行ったな。調べてみたら、平成16年で、もう5年も前のことである。歳月の経つのははやい。
北向観音があり、狭い境内から信州の山々が望める。
階段を下りた所の両側に素朴な土産物店が並んでいる風景は好きである。
九月二十六日
今日、ママは東京行きで不在、時期的には少し早いけれど、隣のMさんの子も誘って、芋掘りをやることにした。
丁度食べ頃の大きさのお芋が沢山とれた。近所におすそ分けし、我が家で早速蒸かして食べた、美味しい。
孫達が土に触れ、収穫の喜びを感じればと思っている。
老人の日。
タクシーを拾って<かに道楽>の先で降りる。昨年同じ時期に一人で、幻の夜の町探訪をした所である。古くからの<お茶屋Dさん>があり、その向かいのビルは<元赤トンボ>というクラブであって、私も入ったことがある。
今は変わっている。その右側についている一人やっとの螺旋階段を昇ると二階に<ボントン>と言うスナック兼カラオケのお店があった。
男性一人でやっているお店で、生年は昭和十九年(六十五歳)でまだお若い。ビアーとつまみを注文する、つまみはちょっとした菓子しかないというのも変わっている。先ず乾杯する。
席は鉤状のカウンターになっていて、テレビは自動で移動できる。奥は円卓状のボックス席になっていて、灯りは照度が変えられ、ちょっと魅力的である。
私は声が出ないのに二曲歌った。
ここのご主人は名前の分からない色々の楽器を用意されていて、弾いて呉れる。木を打つ、縄状のものを弾き掻く、身軽で歌もお上手である。ただ選曲出来る曲が少ないのが難点である。
お暇をする。ご主人も降りて来て見送ってくれる。
少し歩くと右手に花屋<JuLIA>さんがある。後はタクシーを探しながら第一通りを過ぎってラーメン亭の横の狭い小路を歩く。この小路に面して食事処<みそのお>がある。
少し南へ歩くと、ここは小路でも、もう有楽街。轟というお店に入った。
ここの女将は九十歳を過ぎていて一人で切り盛りしていると言う。お元気である。
酔う程に、鍛治町の大通りに出てタクシーを拾い、其の儘山手町迄帰った。
09.8.30
今日は衆議院議員選挙の日である。色々の党が生まれ,党首や代表が俄かに増えた。
政治はお金であり、利益であり、一度やったら止められないらしい。
09.8.31
衆議院議員選挙結果は自民党の55年目の落日であった。
どこにも触れられていない様に見えるが、民主党の裏に組合・連合の影が色濃く映っている。日教組が勢いづいて日本の教育を更に駄目にしないだろうか。
09.9.11
鳩山内閣閣僚の人選が進んでいる。連立で社民党、国民新党合わせて総勢10名の中から二人の閣僚が選ばれるらしい。ラッキー。
にも関わらずポストまで要求しているらしい。この厚顔さ。
織井茂子・・・<黒百合の花>は有名な“君の名は”2部の主題歌である。
五輪まゆみ・・<恋人よ>
枯葉散る夕暮れは 来る日の寒さをものがたり 雨に壊れたベンチには
愛をささやく歌もない 恋人よそばいて こごえる私のそばにいてよ
09.8.25
織井茂子の歌を昭和20年代に屋外で間近に聞いたことがある。売り出したばかりの
<黒百合の花>であった。
今月ほんとに久し振りにNHKの盆の歌番組で本人が歌っていた。<黒百合の花>で半世紀以上経っている。
私が[黒百合の花]の本物に出合ったのは、日本アルプス白馬岳に登った時、大雪渓の左側のお花畑でであった。
09.8.26
今月ほんとに久し振りにNHKの盆の歌番組で、五輪まゆみの<恋人よ>のピアノ弾き語りを聞くことが出来た。
この歌には特別の思い出がある。
昭和61年だったと思うが、ひとりで米国に行き仕事を済ませて、雪の降る中を、或る日本人宅にお寄りし夕飯をご馳走になった。一休み後、ご主人が五輪まゆみのDVDを広い部屋いっぱいの音量で聞かせて下さった。
その中で<恋人よ>が一際心に沁みた。
West bloomfield michigan にあるお宅だった。
09.8.28
冊子の米国地図をとり出してどの辺りであったか調べてみたが、michigan州までは辿り着くものの、West bloomfieldが見当たらない。宿題になってしまった。
09.8.24
マッチ箱収集について
私は煙草を吸わないから、マッチ箱を持ち運ぶことはない。家では神棚や仏壇の灯りにそして蚊取り線香に火をつける位しか使わない。
大昔のある時、学生時代の仲間8人<桑(くわ)の実(み)会(食い、飲む会)の全員>が或る割烹で会合を持った。
その時配られたマッチ箱の図柄は眼を引いたので持ち帰った。
以来集めている。
こだわっているのは、私自身が足を運んだお店のもので、人に頼んだり貰ったりしたものは含めない。
ラベルだけでよいのかも知れないが、箱の大きさ、形も色々あるのでマッチ箱毎保存している。数を数えたことはないが、37× 31× 20cmのダンボール箱に一杯になっている。
どれを取ってみてもその時の店の状況や人の息づかいが新鮮に蘇って来る。
銀座一流のメンバーズクラブのものであったり、日本海に面した寂れた町の蕎麦屋のものであったりする。
現在も国内で並箱にして一億個以上が生産されているとのこと。
でもマッチの存在感は段々薄れて来ている。
09.8.22
円周率π(パイ)について
脳幹をやられているので、計算する訳ではないが、大昔覚えた円周率をどの位の桁まで覚えているか気になって書いてみた。
小数点以下18桁まで書けた。痴呆症にはなっていないなと安堵していると、たまたま今日の新聞のコラム欄に円周率の記事を見つけた。筑波大学が最新のコンピューターで2兆を越える桁まで計算したと言う。
語呂合わせの暗記法も載っていた。
<身ひとつ、世一つ、生くるに無意味・・ >もう少し長いものでは
<身ひとつ、宵、獄に向かう、惨たるかな医薬なく・・・>というのも紹介されている。
私が大昔、一般教養の数学でS教授に教わった語呂合わせは、上二つとは全く異なる。
円周率とは円周の長さの直径に対する比率である。
(微分、積分の記事と順序が入れ替わりました。ごめんなさい。)
数学が出たついでに、微分、積分、について
昔勉強したという方もお出でだろうし、名前は知っているという方もお出でだろう。
大事なテストで、「2次曲線と直線で囲まれた三ケ月状の2箇所の面積の合計を求めよ」という問題が出された。
※図で直線より上側の三ケ月状の面積
昔、微、積分、を使ってなんなく出来て、間違いないという確信に至った。半世紀以上も前のことである。
ところで今はと言うと、記号も出て来ないし、数式が纏まらない。怖ろしい。
09. 8. 4
雨の日が続き、時折あつい陽射しの日があったりするので、体調はよくない。
殆ど何もしないで、お茶や甘い菓子類を平常の何倍も食べていたら、お腹が出て来た。医者には杖ついていいから、朝晩歩けと言われているが、ある程度体調が良くないとその気になれない。
胴回りが増えて穿けるスラックスが無くなったので、仕方なしにタクシーで遠鉄百貨店に行き注文して来た。もう少し涼しくなったら、目標を立てリハビリに励もうと思う。
09.8.15
広島、長崎の原爆の日が過ぎて、今日は終戦の日である。
広島、長崎には、被爆50回目の年に訪れ、お祈りをして来た。
09.8.20
私の住む山手町は近年、町並が様変わりしている。40年程前は茶畑の中に借家が点在し、銀行や商社、保険会社、たばこ産業などが土地を買い占めていて、そこに従業員寮や家族用のマンションが次々に建設され、個人の家でそう大きな家は少なかった。
ところがバブルがはじけてから、これら会社所有のマンションは次々に壊わされ、土地は売りに出されてあとに民間の新しい綺麗なマンションが立ち並んでいる。
一方何軒かかたまってあった借家も何箇所か立ち退き、跡に比較出来ない程の立派な家が建てられ、小さな子供の居る若い世帯が入っている。
又世代交代も進んでいて、今までの家を壊して立て替えられる世帯も多い。
これらの家は新しい造形で大きく、一体どなたが住むのだろうと思はせる家も多い。
世の中お金持ちで溢れている感じがする。
09.9.08
WindowsXPから 次世代型に替わり、いくらも経たない2009年の10月に、新たなWindows 7が発売になるという。どこがどの様に替わるのか分からないが、私のパソコン(2003年winter)もそろそろ買い替え時期かも知れない。
09.9.08
今日NTT西日本の<ひかり電話>に入り、同時にパソコンも<フレッツ光ネクスト>に変更した。どれだけの変化があるか分からないが、請うご期待である。
この間、ご不自由をお掛けした皆様にお詫び申し上げます。>
<Fontsize=“3”>09.7.26
日曜日、晴れ。今日は山手町(実際は蜆塚)にある公園の草刈の日である。
自治会長の挨拶で始まる。山の様な斜面で囲まれている為結構大変である。
でも分担を決めて大勢でやるから早い。2時間もやると、見違える程きれいになる。
町内でも何年か振りに合う人から一年ぶりの人まで様々である。>
<Fontsize=“3”>来月に入ると、ここで山手町夏祭りが盛大に開かれる。>
一方我が家では、小学校5年生の孫のあーちゃんが、森田友紀バレエ創立35周年
記念公演ドン・キホーテに出演した。アクトシテイ浜松/大ホールである。
何でも経験することはよいが、花束のなかで、自分を見失なわない様にと願う。>
09.7.26
日曜日、晴れ。今日は山手町(実際は蜆塚)にある公園の草刈の日である。
自治会長の挨拶で始まる。山の様な斜面で囲まれている為結構大変である。
でも分担を決めて大勢でやるから早い。2時間もやると、見違える程きれいになる。
町内でも何年か振りに合う人から一年ぶりの人まで様々である。
来月に入ると、ここで山手町夏祭りが盛大に開かれる。
一方我が家では、小学校5年生の孫のあーちゃんが、森田友紀バレエ創立35周年
記念公演ドン・キホーテに出演した。アクトシテイ浜松/大ホールである。
何でも経験することはよいが、花束のなかで、自分を見失なわない様にと願う。
09.7.25 土用の丑の日
暦では、19日は土用、20日は海の日、23日は大暑である。
18日(土曜日)に息子夫妻と孫達を呼んで、鰻で夕食会をやった。
でも混んでいて蕎麦屋の出まいで、少し時間が掛かりますがが、一時間であった。
22日(水曜日)にゴルフ仲間の昼食会があった。お相手は勿論女性である。
お店は私は始めての所であったが、小豆餅のうなぎ 藤田であった。
店構えは古く大きく、昔からの店に見えた。うな重は美味しかった。
大女将が終わりに顔を出した。ゴルフをやられるらしい。
土用ともなると、蝉の鳴き声で騒がしい。抜け殻がいくつも庭で見付かる。
盆になると家々の入口にむかえ火をたくのに、おがらが燃やされ、夕方になると、黒い衣装に身を包んだ人達が連れ立って新盆のお宅を訪れるのである。
それを知らないときは、町の辻々で喪服の人達を見て、何と葬式の多い町だろうと不思議だった。
今はその習慣にどっぷりと浸かっている。
米国のGeneral Motors(G.M,ゼネラルモターズ)について
1908年に設立されたG.Mは1931年から77年間も販売台数世界第一の座につき、売上高、利益で何度も世界一を記録した。そのGMが経営破綻し、米国の自動車の世紀の終焉を強く印象づけた。ビッグスリーと呼ばれているクライスラーも破綻し、フォードモーターは自力再建できるかどうかの瀬戸際にある。
没落の原因は色々あると思うが、GMは、全米自動車労働組合(UAW)の要求を受け入れ続け労務費関連の負債が4兆円を超えていると報じられている。経営者の甘さが指摘されている。>
私は戦後「シボレー」「キャデラック」「ビュイック」などの車両カタログを見て、羨望と憧れを持ったものである。
後年渡米し、ビッグスリーを訪ねる機会があった。デトロイトで降りると近くに最近テレビによく出るGM本社の高層ビルがあり、星条旗が何本も翻っていた。
フォードモーターやクライスラーも訪問した。予約がとれていた為か割りにオープンで技術者と討議しあった。1986年、1987年のことで私が未だ50代の時であった。>
病院のベットに横になり寝ると、眼の前に大きくデスクトップの画面が現れ、キイボードを操作しようとしてもキイがうまく打てないし、マウスも動かなくて眼が覚める。どの位繰り返したことであろう。パソコン依存中毒症である。
でも触れないでほっておいたら、デスクトップはいつしか現れなくなった。然し簡単な操作も忘れてしまった様に思う。これが脳幹梗塞症なのであろう。
すべてスローに切り替えてやろう。
入院している方はやはり高齢の方が多い。大方見舞いは老婦人である。ぼそぼそと会話が聞こえて来る。齢とった夫婦の会話は中々よいものである。
或る娘さんが東京から見舞いに来られたことがある。部屋に入るなり“お父さぁーん”と叫んで駆け寄った。その一言が全てを語っている。親子ってよいものである。
施設から全財産を携えて入院して来られた身寄りのない老人がいる。介護施設ではないので先行きどうなるのであろう。心配である。
昨年のテーマのひとつに「捨てる」をあげて取り組んだが、初めだけで結果的に木製の本棚や図書が増えて、部屋の一角を占有してしまった。
あの世に行く時は、閻魔大王への僅かな贈り物を持って行くだけで、あとは全て置いて行くのに。何と思い切りの悪いことだろう。
年末から体調をくずし、年初に入院し今月半ばに退院して療養につとめているが、
脳幹梗塞とのことで右半身が不自由になり、立つ、歩くに障害が出ている。
この間 緋なる夕映え にお寄り頂いた方、申し訳ありませんでした。
明日から新年度、どうぞよろしく。
イブに私の家でファミリーのクリスマス会が開かれた、総勢8人。
企画は小4のあーちゃんと小1のさっくんで7つのイベントになっていた。
和室に重い大きなテーブルをそなえ、色とりどりの料理がいっぱいに準備される。料理は殆どが家内の手作りである。
先ず乾杯。飲み物は何故かイタリア製のワイン、孫達はイタリア製のアルコールなしのもの。食事が終わると片付けて、いよいよクリスマス会。
A3位の大きさのメリークリスマスを楽しもうと書かれたビラが貼られる。
あーちゃん、さっくんの始りの挨拶。
一人一個づつ渡されたクラッカーを鳴らす、パンパンと音を立て、部屋中にテープが舞う。拍手。
プレゼント交換、孫からはメッセージつきの小さな飾り物、孫へは袋に入った色々のもの。
次に、はがき位の大きさの紙が全員に配られる、クリスマスに因んだお絵描きゲームである。
集めると、順番に手渡し回覧して、誰がどんな絵を描いたかがみれる。
次になぞなぞゲーム、予め容易されていた。正解の一番多い人は賞としてクッキーが貰えた。
いよいよ苺の沢山のったケーキの入刀、8人だから分け易い。
ここでさっくんのミニピアノの演奏、譜面を見ないで右手だけと、両手で。何時こんなになったのだろう、拍手、拍手。ママが横で眼を細めている。
派手でも豪華でもないが、クリスマス会を通して孫たちはきっと何か得難いものを体験していることだろう。それは私達にも言えることである。
昨日は冬至であった。かぼちゃを食べ柚子入りの風呂に浸かって静かな時が流れる。
もうじきクリスマス、そしてお正月。
孫達は学校も休みになり、ばぁーばの所に行くのを楽しみにしているのではなかろうか。
ばぁーばも、名入りの手作りプレゼントを用意し、手製の干し柿などを作って、来る日を心待ちにしている。
そうして孫達は成長し、ばぁーばも、齢を重ね更に時が流れる。
色っぽい、とか艶っぽいという形容詞があるが、その意味は微妙に違う様に思うのだが
辞書では、色気がある、なまめかしい、などと同じ表現になっている。
ちなみに色気(名詞)をひいてみると、異性を引きつける魅力などとでている。
どうもすっきりしない。日本語は難しい。
6日、作曲家の遠藤実さんが亡くなった。1949年に上京後、中央線沿線の飲食街でギターを抱え、流しをしていた。常々、“きたない格好でギターを抱えて流しをやっていたころの姿が私の原点”と語っていた。
独学で作曲を学び、1952年(昭和27年)作曲家デビユー。主な作品
58年 からたち日記
61年 おひまなら来てね, ソーラン渡り鳥
63年 高校3年生、 ギター仁義
66年 星影のワルツ
72年 こまっちゃうな
73年 せんせい
77年 北国の春
78年 夢追い酒、 みちづれ
日本の原風景が浮かぶ哀愁を帯びた旋律が持ち味。“誰でも歌える歌が理想”と話していた。
先生の遺作になるかも知れない「比叡の風」が来年夏に出るという。
昔々酒場で飲んでいると、”えー、今晩は、お楽しみのところ一曲如何ですか”と言ってギター流しがやって来たのを覚えている。
1941年(67年前)12月8日未明、日本は米・英両国と戦闘状態に突入した。
当日は朝から“本8日未明---米・英両国と戦闘状態に入れり”勇ましいマーチ曲と共にラジオで何度も何度も放送された。今は昔々の開戦の報道など見当たらない。
でも心温まる小さな記事が見付かった。1942年にジャワ島のスラバヤ沖海戦で英軍艦が攻撃を受けて沈み、油まみれで漂流中の元英国海軍大尉サムエル・フォールさん(89) 達を、日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」が救助した。
帰国後フォールさんは「雷」艦長だった工藤俊作元海軍中佐の行方が分からないままだった。救助の秘話を耳にした作家の恵隆之介さんたちが訪ね歩いて探し出し、フォールさんは来日し、埼玉県にある77歳で亡くなった工藤さんの墓を訪れ、66年振りに再会を果たしたというのである。工藤さんの遺族や「雷」の航海長(92)も参列したと言う。
今日豊田町、アミユーズ豊田/ゆやホールで開かれた磐田南ライオンズクラブ主催の
チャリティーコンサートに行って来た。盲導犬に伴われて来た方も二組あった。
第一部はサロンコンサート
第二部は音楽教室の子ども達のステージであった。
第一部のゲストは1.ソプラノ 竹内志のぶ タイムトゥセイグッバイ他
2. ソプラノ 青島能子 アベマリア他
3. フルート 大場有加 FantasieOp79他
4. デユオ 竹内志のぶ、青島能子 冬のメドレー
たきび、雪、冬の夜、冬景色、スキーの歌、ペチカ、雪の降るまちを他
5. メゾンソプラノ 桜谷清美 Catsよりメモリー主の祈り
ピアニスト 朝生礼子
司会 桜谷清美
第二部はエレクトーンsolo及びアンサンブルであった。
会場はそれ程広くないし、とても良かった。
初めにライオンズの活動について説明があり、目録の贈呈が盲導犬の育成普及のチームに贈られた。
終わってからゲストさんに花束贈呈。お疲れさまでした。

この二組が盲導犬と一緒であった。
私の画材について忘れない様に纏めてみた。
私の絵は自己流で、主にオイルパステル画である。
画材についても教わった訳ではない。
色鉛筆はSTAEDLER KARAT 48色 Made in Germanyで水溶性である。
遠出の時はSTAEDLER KARAT 24色を持参する。
用紙はMULTI-DRAWING BOOK/5F
Holbein selected drawing paper for Artists No,33A3(354×280) Japan
又はmaruman No,100(245×173)である。
パステルはHOLBEIN ARTISTS’OIL PASTELS 50Sticks Set Made in Japan
完成作品は、擦ると色が落ちるので、パラフィン紙で保護しクリアーファイルに保存。
KING A3-S CLEAR FILE
額縁は木製櫻材 半切(大きさ約560×440)
一応EASELも持っている。6-SBと言うもので、一昔前に7千円の安物である。





17日に、グランデイ浜名湖でゴルフをした。
お相手は何時ものお上手な女性と、男子プロであった。プロと回るのは初めてであったが、流石にうまい。
フルバックから、ロングでも確実に二オンしバーデーかパーで上がる。セルフで面倒をみながら回ってもパープレイであった。風を読んだクラブの選択も的確で狂いがない。大変勉強になった。
グランデイ屋上にある露天風呂で少し冷たい風を受けながら見る夕映えも美しい。
女性もお酒は少々飲めた方が、人生が楽しいと思うがどうであろう。
幸いにして家ではファミリー全員が飲むので楽しい。越後の銘酒、自家製の梅酒、昔のブランデー、焼酎、ビアー。その時の気候、体調、雰囲気でかわる。
歌うことはないが、演歌の作詞家は凄いなぁーとかんたんすることしきりである。
例えば、{舟歌}お酒はぬるめの燗でいい、さかなはあぶった烏賊でいい--。
{港しぐれ}ここは瀬戸内土庄港、飲んでおゆきよもう一杯--。
{悲しい酒}ひとり酒場で飲む酒は、別れ涙の味がする--。
それぞれに情景が浮かんでくる。
「突然の訪問者」で紹介した、二十数羽の小鳥達が幻の夜を運んで来てくれたのだろー。
ラッキー!
九月に「幻の夜の町探訪」で立ち寄ったお店を紹介したが、後で紹介したお店の女性が、同じく先に紹介したお店で、私の喜寿祝いをして下さった。
ぬるめの燗酒をつぎ、つがれして、二人で乾杯。紬の良く似合う女性である。
望の月の幻の夜が過ぎる。
「08.11.喜寿祝い.jpg」をダウンロード
私がマンドリンの演奏を初めて聴いたのは、昔々のことである。神田にある共立講堂で
明治大学マンドリンクラブの演奏であった。古賀メロデーなどもやり、{丘を越えて}が強く印象に残っている。
近年浜松にもマンドリンオーケストラのあるのを知り毎年出かけている。
今日35th 定期演奏会がアクト中ホールであった。
オリジナル、ポピュラー、クラシックの三部であった。音オンチの私にはよく分からない。
団員である佐藤さん率いる浜松市立高校マンドリン部が全国高校フェステバルで全国優勝したそうである。おめでとう。
今朝家の庭に沢山の小鳥がやって来て、梅やサザンカ、金木犀の枝々を飛び回っている。
雀ではないな、よく見ると羽の色が緑がかっている。戸をそっと開けて更に疑視すると
メジロに間違いない、ホホジロも僅かにいる。二十数羽もいる。
何だろう、突然の訪問者に何か良いことでもありそうな予感がする。
最近よく米国デトロイトにある自動車会社GMの巨大な本社ビルがテレビで放映されている。デトロイトには私も何回か行っている。
或るホテルの庭の見えるレストランで夜ビアーを飲み食事をして、メイドさんに僅かばかりのチップを渡すと、“オー、サンキュウ”と言って抱きついて来た。
太っちょの黒人の女性だった、一瞬であったがその感触と温もりは形容のし難いもので身体が忘れないで今でも覚えている。昔々のことである。
今度は日本のお話、ある所の或るクラブで夜更けて頬寄せ合って踊ったラストダンス、
その感触と温もりも忘れていない。
女性の温もりっていいものだ。
でもそれ以上の艶っぽい話のないのが、良かったのか悪かったのか、悔いは全くないが。
眼鏡を新調し、数年ぶりに絵を描いてみようと思い立ち、着手したまでは良かったが、
感性も表現力もないのに、線一本、色一色にも変なこだわりが出て、当初予想を大きく覆し遅々として進まない。
街路樹の緑が紅葉に変わり落葉しはじめているではないか、10月が終わる、困ったな。
万年筆のベストコーデネイト賞というのがあって、今年の受賞者が決まったと新聞に出ていた。
ところで私が今使っている残った万年筆は3本で何れもモンブランで執筆家でもないのに細、中、太と使い分けている。インクもMONTBLANCでMade in Germany50ml、でガラス製の容器に入ってどんと置いてある。何か不釣合いの感がしないでもない。
そう、今日新しい老眼鏡が出来てきて、おしゃれな入れ物と並べて置くことにした。
或る方(Sさん)の一言で絵を描いてみることにし、スケッチブックを取り出してみた。甲州に行ってスケッチしてから、実に6年ぶりである。その間何をしていたのだろう。
近間の風景を描いてみる、画面の細かい所が見え難いなと思っていると、又或る方の思い切り、決断に触発されて、眼鏡を作り直してみようと決心、即実行に移し眼科医に行く。
調べてみると遠、近2種類の眼鏡を作ったのは何と12年前で、遠は4年前に免許証更新に合わせて作り替えしている。近はそのままである。
先生曰く“遠も今のままでは免許通りませんよ”遠の眼鏡はよく見えるし昨年の更新も一発で合格だったのに。兎に角、近だけすぐ作り替えることにする。
{高かろう、よかろう}の馴染みの店で。(Sさんありがとう)。
先日、或る方の指定の待ち合わせ場所が100円ショップの駐車場であった。用事を済ませ、丁度文房具店に寄ろうと思っていたので、どんなかなと中を覗いてみた。
随分沢山の商品が並んでいる。店員さんにA5の茶封筒を尋ねると直ぐに案内して呉れた。八枚入りである。「これ幾らですか」“105円です”二人で苦笑いした。
汚染米を買った人が異口同音に知らなかった、酷いと言って販売元を怒っている。
安かったのでつい買ってしまったということは無かったのだろうか。
私は、{安かろう、悪かろう}は凡そ当っていると思っているのだが。100円ショップのものが悪いと言っているのではない。
敬老の日。多分夕方ちびちゃん達が来るだろう、90%位は回復した家内が孫の好きなお肉を沢山入れ、野菜もたっぷり入れたすき焼きと、お餅を用意し、デザートは巌邑堂の栗蒸羊羹を予約し準備する。
6時頃“今晩は”と言って上がって来た青空ちゃん(女の子)が、“じーじ、おめでとう”と言って私に大きな花束を手渡し、続いて下のさくらちゃん(男の子)が、“ばーばおめでとう”と言って大きな花束を手渡し、それぞれに、封筒に入れた手紙と紙に書いた手紙をプレゼントしてくれた。「ありがとう」。
ママは側で微笑んでいる。
大人は日本酒とビアで乾杯。健康と老を祝う。
食事が終わって“折角だから花束だいて写真撮りましょうよ”の発案で撮ることにする。
ちびちゃん達も入って撮る。ちびちゃん達も自分でシャッターを押して撮って呉れるという。
済んで、日本茶と羊羹である。栗が多いの少ないのと言っている。(息子はお仕事で、セットでお持ち帰り。)
ささやかであっても、最高の敬老の日を送れて幸せである。
久し振りにM.Y子さんから電話があり、ハウスみかんを沢山頂いた。とても甘いみかんだった。
帰りに或る画廊に寄ったら、偶然にもTさんがやって来てお会い出来た。
M子さんから「花遍路」のお知らせが届いていたので、昼下がりの暑い中クリエートに出掛けた。
-90歳の青春- 高山あさゑ写真展である。本人がいて挨拶されていた。
狭い同じ町内の方だった。80歳半ばから初めて写真を始められたとのことである。
私にも可能性はあるだろうか、驚きである。
ここでも偶然SITCのS.Y子さん、W.S子さんにお会いした。偶然の確率はどうなっているのだろう。
気を良くして、M子さんが紹介されていた、昔の町の面影探訪をやってみることにした。
店に入って年配の方に聞きながら辿ってみると、意外な所にでっかした。
町の中心部に存在した。うーむ。

新聞のテーマ「備え」という投稿欄に「徐々に老い仕度」という題名で75歳の男性の投稿が載っていた。“今の私にとって、備えとは捨てることだ。”と言い切り、本、写真、手紙、愛着のある小物類を捨てること。こうした作業を老い仕度と名付け進めているという。
共感する。私の今年のテーマの一つは「捨てる」であったからだ。年初は思い切って本や資料を処分したが、急速に鈍って停止状態である。未だ4ヶ月ある、復活して老いに備えよう。
今一番容積を占めているものは何か、殆ど聞くことのない両翼に大きなスピーカーを備えた昔のsonyのステレオボックス、レコード類か。それより数多くの58×46×4センチの大きさの特撰フレームか。
ふっと“小説「貧しき人々の群」宮本百合子”の活字が目に止まった。大正5年の著書である。
私がその小説を読んだのは10代の時であるが、よく覚えている。
百合子の祖父は1872年に福島県に赴任し安積開拓に尽力したと伝えられ、孫の百合子がそれを見ていて小説にしたと聞いている。
他に「愛情はふる星のごとく」という文章もはっきり記憶しているのだが、百合子自身のものか定かでない。他に百合子の「二つの庭」がある。
(人民評論2月号に「愛情は降る星の如く」という尾崎秀美氏の書簡が載っていると聞く、弾圧で獄中にいた人である)
今プロレタリア文学を代表する「蟹工船」小林多喜二著が若者の間でブームになっていると聞く。私が読んだのは昭和45年である。
この機会に「貧しき人々の群」の舞台になった地元、こおりやま文学の森資料館や開成山公園でも訪ねてみるか。
星野監督率いる野球ジャパン:メタルなんかに届かなくたってよいのだが、プロの選手を集め、みんな偉そうなこ とを言っていて、やっていることは国内の消化試合の様なもので、感動の一場面もなかっ たし、何も伝わって来るものがなかった。サッカー男子と同じである。
久々に民放で突出した良い番組に出会った。
静岡第一テレビ、8:00ザ・サンデー 徳光さん司会の番組である。途中からだが、
2.女子ソフト全16人生出演
3.オリンピックの夏
恋人達に贈る幻の詩 というタイトル。
2.では空港に出迎えた元監督の宇津木妙子さんに、投手の上野由岐子が抱きついてメタルを掛けてあげてい た。感動のシーンであった。
上野投手の両親の応援風景、出演中に斉藤春香監督へのウイニングボールの贈呈、各自ボードへの一言で は、二人の選手が 「2球はない」と書いていた。
3.では8月と言えば戦争を忘れてはいけないと、美空ひばりの幻の詩を伝えていた。
オリンピクだけに偏らずに、番組を編集した方に敬意を表したい。
美空ひばり唯一の反戦の歌、「一本の鉛筆」戦争はいやだ、である。
そしてB面の「8月5日の夜だった」を映像をまじえて紹介していた。
この二つの番組をそのまま小、中学校の教材に使ったらどうだろう、何か訴えるものがあるとおもうのだが。
(お笑いくずれの騒がしいだけの民放の中で、静岡第一テレビを見直した)
未だ終わった訳ではないが、日本女子の活躍が目立ったし、多くの感動や勇気を貰った。
柔道女子:金メタルの上野雅恵、谷本歩実他、塚田真希、中村美里など
レスリング女子:金メタルの吉田沙保里他、伊調千春、伊調馨など
卓球女子:近藤欣司監督、福原 愛、福岡春菜、平野早矢香、中国の強さに圧倒された。愛さんが「家族に感 謝」と言っていたのが印象的であった。
サッカー女子・なでしこジャパン:佐々木則夫監督のもと、エース沢 穂希ほか、「気持ちで戦う」と言い4位に入った。
バトミントン女子ダブルス:末綱聡子、前田美順ペアーが中国トップのペアーを破った瞬間は実に感動的なシーンであった。これだけでメタルなんかよい。4位は立派。
ソフトボール女子:輝く初の金メタル、上野由岐子の力投、気合、精神力、かって心臓手術をしたことのある西山 麗の活躍、坂井寛子は「自分とチームを信じて頑張ろう」と言い、上野は「負けられないという気持ちだけでした」と語り、斉藤春香監督は「上野とは心中するつもりだった」と語っている。元監督の宇津木妙子さんは解説していて、言葉にならなかった。
シンクロナイズド・スイミング:鈴木絵美子、原田草穂ペア、はやさ、高さで「先生を勝たせたいために」と言って、井村雅代監督率いる中国を破った。
コーチ金子正子チームリーダーは「良かったわよ」と言って初めて褒めたという。銅メタルが輝いている。
マラソン女子:残念だが練習で頑張り過ぎたのでなかろうか。コーチの責任が大きい。
それにしても男子は、水泳や陸上のリレーなど賞賛する種目もあるが、サッカー男子のふがいなさ。スピードは全くないし、ゴール目指してのキックもヘナチョコボール、選手、監督、協会役員は猛反省し、なでしこジャパンを見習うべきであろう。
8月15日
玉音放送があってから63回目の終戦の日を迎えた。
昭和天皇は大元帥閣下であって東条英機大将の上に君臨し、御前会議に出席し、まつりごとを行ってきた。その意味での戦争責任は極めて重い。
戦後国民にはっきり謝罪の言葉を述べたことがあるだろうか。記憶にない。
今の天皇もそのことに深くおもいを致すべきであろう。
私の父も応召で戦地に赴き幸いにも無事帰還した。タグボートで港に着いた時の情景は未だに忘れられない。幼稚園児の時だった。
皇居に行く位なら靖国へ、でも戦犯合祀の問題が立ちはだかる。こんな簡単なことも片付けられない日本なのだ。
やさしかった兄さんが、田舎の話を聞きたいと、櫻の下でさぞかし待つだろおっ母さん、あれが あれが九段坂、逢ったら泣くでしょ兄さんも。
島倉千代子が昭和32年に歌ってヒットした「東京だヨおっ母さん」の一節である。
マスコミは終戦の日より、オリンピック報道で騒がしい。
8月14日付け新聞の「戦後63年の夏」と言う投稿欄にいくつかの投稿が寄せられていた。
①悲惨な横浜大空襲:69歳の主婦から
私が小学一年生だった昭和20年5月29日、横浜大空襲があった。当時中華街に住んでいた私達家族は、けたたましいサイレンの音に、前のビルに逃げ込んだ。しかし、間もなくものすごい音とともに炎があたりを包んだ。私達はガラス戸をたたき割ってビルから逃げ出した。――、今でも炎に包まれた中華街の光景をよく覚えている。―― 。
私はその日横浜の南、三浦半島の動員先で空襲警報の中あまりの爆音に壕から出て空を見上げると、米軍機がかなり低空で堂々と編隊を組んで幾重にも幾重にも通過して行った。要塞地帯であったが高射砲一つ打たれなかった。
何処かがやられる。それが横浜大空襲であった。私は14歳の中学生であった。今私の孫が丁度小学一年生である。
②学童疎開した宿に感謝の念伝えたい。:72歳の男性から
私は1945年(昭和20年)4月に山形県に学童疎開し玉音放送はそこで聞いた。
疎開先は旅館だったと記憶しているが、当時9歳だった私は詳しくは覚えていない。
70歳を過ぎたころから、一度は訪れるべきだという一念が強くなってきた。
「お世話さま」の一言ぐらいは、必ず伝えなければいけないと思う。
と結ばれている。
私の家内も近い年齢で新潟県に学童疎開していた体験があり、折にふれてその時の話が出ることがある。投稿者の気持ちが十二分に伝わってくる。
後期高齢者医療制度が如何にひどいものであるかを改めて痛感した。
市役所から高齢者医療保険料支払い方法の変更の通知が来た。希望により、年金から差っ引くのでなく要件を満たせば口座振替も出来るとのこと。
書類を準備して市役所に行ってみた。窓口に行って番号札を取って唖然とする。今出ている番号から94番目である。百人近い人が待っていて未だ間違いなく二時間以上掛かりますと職員が言っている。待って、待ってやっと手続きが終わると、今度は銀行に行って口座振替依頼をして下さいという。
年金から差し引く時は勝手にやったのに、支払い方法を変えるには半日仕事であった。
昨日、夕方真っ黒な雲に覆われて危ぶまれたが、雨は全く降らずに佐鳴湖の花火大会が実行された。
夜空に舞う幾重もの大輪の花火、時間を置いてドーンという轟音。
私は二階のベランダからひとりで眺めている。広島の原爆慰霊祭、長崎の原爆慰霊祭が終わったばかりで、
今週終戦の日がやって来る。その情景が花火の向こうに浮かんだ。
花火が終わって静かになると、どこからか秋の虫の初声。季節は動いている。
恵みの雨が降ったものの、農作物は目に見えて変化がない。山の様にとれたいんげんも勢いが止まり、夏野菜は終わりを迎えている。今元気なのはオクラとニガウリか。農作物は季節の移ろいに敏感である。
このところ夏本番、14日(月)浜松地方は32.9度であったと報じられている。
そんな中、久し振りに「葛城ゴルフ倶楽部」のしかも距離のある山名コースでプレーした。
前半はまあまあで納得のプレーが出来たが、後半は暑くて暑くて汗が滴り落ち、へばった。はじめてである。
それでも私の近年の葛城データの上位スコアーで回れたので満足である。
そんなにしてまで何故やるの。スキーもゴルフも自分への挑戦だから好きである。
それに、真夏に汗をかいて置くと、冬風邪をひかないで過ごせるのである。
時差まきした蔓なしえんどうが沢山の白い花をつけ、なりだした。おくらも黄色い花をつけ、なりだした。こまめにとらないと直ぐ大きくなり過ぎる。黒と黄色のシャクトリムシの様な虫が葉にしがみついている。一匹ずつ駆除しないと、忙しい。ズキーニも大きなのを二つとったが、後が芳しくない。どうやら朝,花の咲いている内に受粉してやらなといけないらしい。
今日は日差しが強く暑かったが、思い切って第19回の蜂須賀秀紀と20グループ写真展を
クリエート浜松に見に行って来ました。会場でぱったりトミタンにお会いした。全くお変わりなく元気だったので安心する。o師匠の作品も展示されていた。
力作揃いで視点について参考になった。写真もみる人によって評価が異なるが狙いは分かる様な気がする。
沼田早苗賞というのが10点程についていたので、聞いたら若手の有名な写真家さんなんですって。へえー。
ついでに久し振りに遠鉄デパートに寄り、つい不急のものを買って帰った。
今日、遅くなった時期に庭屋さんが来て、庭がすっきりしたし、家内が何とか起きれる様になって、買い物や洗い物、ゴミだしを除いて主婦業体験から開放される。
お見舞いやお励ましをお寄せ頂いた方々に厚くお礼申し上げます。
家内が寝込んで、今日で6日目になる。まだ起きれない。
“おかいゆが食べたい”むっ、難しいが挑戦。“味噌付けに、つはぶきの佃煮”えっ。
スーパーに買い物に行く、篭を下げて、何にしようかな。こっぱずかしい。
リンゴなら食べれるかな、ラーメンも買って置こう、ヨーグルトにポカリスエット。
自分のものは、手間の掛からないそのままか、焼いて食べるものにしよう。
あっ、メダカもお腹を空かせている。仏様の花も換えないと。
薄日が射してきた、洗濯物をおもてに出さないと。
回覧板が来ている、回さないと。ピンポンが鳴る。電話が鳴る。
野菜もとらないと、特にきうりは一日で大きくなり過ぎてしまうし。
まごまご~~で一日が暮れる。とりたての茄子をそのまま焼き、生のきうりとで、一人酒。
主婦の方々が、日々の生活の中で当たり前に家事をこなし、趣味を楽しみ、遅い時間になってパソコンを開いているのがよーく分かります。
家内が寝込んで三日目である。近くの医院に連れて行っているが、中々回復のきざしが見えない。
主婦って毎日実に沢山の仕事をこなしているのだと改めておもう。
何かしようとしても、先ずありかが分からない。ありかが分かってもどうしていいのか又分からない。
私が普段家事について何もやっていないことが、いやという程よく分かる。お互い健康が一番。
私の家の門の右側の壁に蜻蛉が止まっている。近寄って見ると体長10センチ程、黒と黄色
のヤンマーである。じっとしていて孵化したての様にも見える。咄嗟に近くに住む孫のさっくん
に見せようと走った。
土曜日なので未だ寝巻きでいた。着替えたり履物を履いたりしていては、見れ
なくなるかも知れない。そのまま抱きかかえて走った、随分重い。
まだじっとしていて間に合った。あーちゃんも網を持って追い掛けて来た。
放してあげる約束でそっと捕まえた。帰りは裸足で返した。
この時期になんで蜻蛉が、しかもヤンマーが、どう考えても謎である。
ほたるのひかり、まどのゆき、書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。
「蛍の光」、小学唱歌の一番である。
「仰げば尊し」と共に式の時によく歌った。
仰げば尊し、わが師の恩。教えの庭にも、はやいくとせ。
おもえばいと疾し、このとし月。今こそわかれめ、いざさらば。
戦後、学生の頃「蛍雪時代」という雑誌があって、毎月読んでいた記憶がある。
私の田舎では、戦後、話しても想像出来ない程多くの蛍が乱舞していたっけ。
ス発表会が開かれた。男性コーラスグループも賛助出演されたとのこと。
一つのコーラスグループが会館を借り切って発表会をやるというのもたいしたものである。リーダーさんに敬意を表
したい。
家内が長年レモンスカッシュにお世話になっている。15曲お披露目するというので、特訓が続いていた。
お陰様で満員の盛況であったという。良かったね。
打ち上げ会をやり、大きな花束を頂いて帰って来た。お出で頂いた沢山のお友達ありがとうね。
今日23日に厚生労働大臣名の「年金特別便」が届いた。回答を出さなければならないが、よく分からない点もある。
もっと分からないのは、後期高齢者医療制度である。被保険者証は資格取得が平成20年4月1
日で有効期限は平成20年7月31日である。その後どうなるのか何も分からない。静岡県後期高
齢者医療広域連合なるものはどこにあって何をしているのだろう。でもここが保険料を決めているという。
保険料は年金から差し引かれるが、今までより高くなったのか、安くなったのかもわからない。
もっともっと分からないのが裁判員制度である。無作為に抽出して全くの素人を否応なしに裁判員に仕立てる。
日本は凶悪犯罪に対して罪が軽いのに、もっと軽くしようというのか。重くしょうとするのか。
昨日母子殺害事件についての判決が9年も経てやっと出た。
安田とかいう主任弁護士が、判決は不当としてすぐ上告した。裁判を引き伸ばすことによって自分の仕事を確保し
報酬を得ようとしているのか。21人もの弁護士がついて何をしているのだろう。
注目されている裁判の弁護を務めたという実績作りだろうか。悪を正当化してはならないと思うが分からない。
家内が浜松市内の熟年女性コーラス「レモンスカッシュ」に入っていてながい。
今年20周年を迎える。それを記念して欲張って国際シニア合唱祭、ゴールデンウエーブin横浜で発表会をやるという。楽譜は持たないという、さあ大変。
特訓に特訓を重ね、最後は市内の教育文化会館でリハーサル。(中日新聞が取材に来たらしい)。
本番は4月17日、18日の二日間で、横浜みなとみらい大ホール。
横浜開港150周年記念、主催はゴールデンウエーブ開催委員会、横浜みなとみらいホールである。4つのブロックに分かれていて家内は17日のAブロックである。
Aブロックは18で、「レモンスカッシュ」は9番目である。
指揮 藤原雅子 ピアノ 足立佳子 参加者28名
曲目 (イタリア民謡)海はまねく、そんなお婆さんならわるくない、おばさんのタンゴ。合唱祭テーマ曲は日野原重明 作詞の我らが歌う 平和の心。
当日も1団体15分のリハーサルがあり、更衣は20分。
行くのも大変である。新幹線の指定席を用意してあっても、発車40分前の集合。
新横浜からは乗り換えが大変だからと、タクシーでみなとみらいホールまで。
持ち物は、ブルーのブラウス、黒のロングドレス、新ネックレス、真珠のイヤリング、
シルバー色の靴、湯茶。藤原先生も大変だなぁ。
私が出来ることは、のし袋の書き込みと会館とか駅へのアッシー君だけである。
fuさんのブログに夏野菜を植えたと書かれていたので、昨日伊佐地農協に肥料を買いに行き、畑を耕し畝を作った。繁殖力の強いはなのびるの除去に手間がかかる。
種苗店で野菜の苗を売る時期が年々早まっている傾向にある。
自然相手であるから、植えるタイミングによって後の成長、収穫に微妙に影響を与えるので、農家ではないが読みが難しい。
あまりあせらずに来週中に植えるとしよう。
今日は庭の茂みが混んで来たので、鋸を持ち出し少し木を切ってやり、ついでに時期的の良否は分からないが鉢植えのおもとが押し合いへしあいしているので、掘り返し株分けしてあげた。喜んでいるみたいだ。
梅の実が大分大きくなっている。あじさいも蕾をつけ、毎年ひっそりと咲く鳴子ゆりが蕾をつけてきている。
お医者さんに予約した時間にまだ時間があったので、何気なく朝のNHKテレビ生活ほっとモーニングを見た。「もう一度学びたい」夜間中学校というタイトルだった様に思う。
後で新聞を見ると「もう一度学びたい」81歳の中学生、感動の卒業式と出ていた。
勉強して、やっと念願の文字が書ける様になって、心に仕舞ってあった想いを自分史として6ヶ月掛けて原稿用紙50枚に書き上げ、作文発表会で皆に発表していた年配の女性。
「すまない」とだけ言った母に、ながい時を経て、その亡くなった母の墓前に宛てて書いた、たどたどしい墨の文字での感謝状。
バスを乗り継いで長時間掛けて夜間中学校に通う81歳の男性、独りで車椅子に乗って雪道を塾に通う年配の女性。
北海道のボランテアの学習塾、全員での夜間中学校の卒業式。先生のメッセージ。
引き込まれる様にして終わりまで見てしまった。
どんなドラマよりも素晴らしい感動の番組であった。
金儲けと飽食で膿んでいる社会にあって、人が生きると言うこと、学ぶと言うことを
あらためて学んだ気がしている。
家族に見守られながら両親と一緒に出発して行った。
さっくんは黒の服に赤いネクタイ、黒の靴でちょっぴりおしゃれしている。
広沢小学校まで1.5kmはある。一回安全も含めて登校練習をして来たらしい。
30分くらい掛かる様だ。
ランドセルは贈ったし、色々の布袋は手作りでそろえてあげたし、さあ出発だ。
或る複数の方のブログに水玉模様の画像が掲載されていた。水玉をどうやって浮かすのかな。
浮力の計算をすればよいのかな。
掲載画像の球の体積は半径1cmで約17cc、0.5cmで約8ccである。
浮力は固体が液体を押しのけた時発生し、押しのけた液体の重さに比例する。
液体の比重が必要になる。
比重(g/ml)は密度(g/cm3)を4℃の水の密度で割れば求められる。
でも水の密度は温度で変化したな。
水温を上げれば水の密度は小さくなる。水の密度が小さくなれば水の比重は上がる。
水の比重が上がれば浮力が上がり浮きやすくなる。
しりとりである。 球の体積と小数点以下4桁の数字の掛け算である。
要約すると、画像全体を水とすると、水玉だけ比重を下げてやればよい。
それには水玉の温度を上げてやればよい。
それには水玉の色を淡い色、赤系の暖色にすればよい。間違いなく浮いて沈むことはない。
“あれー、球の体積計算や0.99997などを使った比重の計算値はどこに行ったの。”
「ここは画像のお勉強でしょ、あなたそんなことやってるから出来ないのよ」
「08.3.16 梅4.jpg」をダウンロード
「08.3.16 アーモンド3縮.jpg」をダウンロード
今日さっくんが無事幼稚園を卒園した。”卒業したよ”と知らせに飛び込んで来た。
胸には赤い花とおめでとうと書かれたリボンがついたままである。たけ組の大きな作品集も抱えてきている。
「おめでとう」写真でもとりましょうかね。
卒園者で広沢小学校に進む子はさっくんひとりである。まあいいか。
60年以上も前のお話である。私が旧制中学二年生の今頃であったと思う。勤労動員で(勉強は全くしていない)日々を過ごしていたある日の午後、今日は慰問団が来るからと言われ,引率されてかなりの距離を歩いて或る学校の講堂に集まり板張りの床に腰を下ろして待った。
間もなく開演、少し挨拶があった様に思う。
今にして思えば、はじめは狂言「太郎冠者」(たろうかじゃ)であった。狂言装束、縞熨斗目、肩衣、狂言袴、腰帯を着け独特の声で掛け合いを演じた。「たろうかじゃ」の名前は決して忘れることはない。
次に又今思えば、元○○歌劇団だったと思われる若い女性達が戦中の目立たない衣装で横一列に並んで「花」を歌った。
春のうららの 隅田川 のぼりくだりの 船人が 櫂(かい)のしづくも
花と散る ながめを何に たとふべき
見ずやあけぼの 露浴びて われにもの言ふ 櫻木を 見ずや夕ぐれ
手をのべて われさしまねく 青柳(あおやぎ)を
錦おりなす 長堤(ちううてい)に くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の ながめを何に たとふべき
かなり時が経ってから、分かったことであるが、「花」は滝廉太郎作曲の歌曲集「四季」の第一曲であった。
お菓子などない、日々の食事さえもままならない配給の時代、連日の様に空襲警報の鳴り騒ぐ日々の間に聞いたこの曲、身に浸みついていて消えることはない。
歌の後、質問が出された。“こいのぼり、雌鯉と雄鯉のどちらをうえに揚げますか?”
直ぐに或る先生が答えた“こいに上下なし”“正解”。変なものをいつまでも覚えているものである。
明日は上弦のおぼろ月、しずかに「花」でも口ずさもうか。来週は彼岸の入りを迎える。
注文しておいた黒のランドセルが届いた。さっ君が来たのでプレゼント。
早速ダンボール箱から出して背負ってみる。背中で輝いて見える、嬉しそうだ。
夕食後また背負って帰って行った。
来週は卒園式である。早いなぁー。
昨夕、私の「緋なる夕映え」を迎えての家族でのお祝い会が、歩いて行ける近くの
和食処で開かれた。
ビアーとちびっ子達はジュースで、みんなで乾杯。カチッカチッ。“おめでとう”「ありがとう」
お刺身、サザエ、天麩羅、お肉の串刺し、かにサラダ、日本酒、うちの家族は皆お酒がいける。
小学校3年生のあーちゃんが“お家に帰ったらお手紙上げるね”、幼稚園年長組のさっくんはデジカメが面白くてやたらにパチパチ。
帰り、あーちゃんの家に寄る。ママとあーちゃんが手作りで作ったというイチゴの沢山入ったケーキをみんなで頂く。
あーちゃんからお手紙と、ボール箱を横にし、上の左右の隅に斜めに金色のテープを貼った中に
キャラクタを置いて、梅の花を飾った工作品がプレゼントされる。
うめもさくらも咲く春にたんじょう日いいね! とメッセージが書かれている。
さっくんは、丸い黄色のもにゃもにゃの帽子をかぶり、色めがねを掛けて、楽譜を前に置いて
両手でピアノ演奏のプレゼント。ふーん、いつの間に。
ささやかではあるが、得 難い 最高の家族でのお祝い会であった。私は しあわせ!
私の緋なる夕映えを迎えてのお祝い会が、家内と女性ゴルフ友達4人とで、老舗の某処で開かれた。
想像もしなかった あり がたき ことである。嬉しい!
ちなみに家内はゴルフを全くやらない。女性ゴルフ友達は私よりずっとずっとお若い方達である。
どなたかが、“私しか知らないお話があるんです”とブログに書かれていました。
誰にも、自分しか知らないお話、想いがある。
そのお話を話せるひとがいたら、どんなに歓ばしいことだろうか。
お互い、自分だけの様々な色の細いほそい糸のお話を出し合って、紡いでいくと、
何とも言えない,深いふかい色合い、風合いの織物になる。
人生を生きて来た色、生きている色で輝いている。
私は、城目当てで行った所はほんの僅かで、大半は寺巡りをしていたら近くに城もあったという所が多い。
前回、城について触れたので、何とか私の城巡り紀行を纏めてみようと思ったのだが、意外に大変であった。
大半が昔行った所なので、先ずJTBの時刻表、昭文堂の各地の道路地図、行った時に入手したガイドブック、案
内書、歴史と文化財書、私の旅紀行などを引っ張り出して用意し、地域を10に分け、行った年月と城を書き込ん
でから、一城ずつ歴史と記憶を辿りながら書いていった。
2月に入って毎日かなりの時間を掛けて書き続けやっと終わった。
訪れた城は48城であった。
印象に強く残っている城は、九州の島原城、岡城址、中国の姫路城。
好きな城は、北陸の朝倉城、丸岡城である。
城とはいくさの歴史であり、つわものどもの夢の跡であるとの想いを、あらためて強く感じた。
地域のパソコンクラブで知り合いになったMさんから“2日に蜆塚遺跡の竹やぶの方で10時から餅つき大会をやるけれど、近くだからお孫さん連れて来ませんか”と声を掛けて頂いた。
帰ってから幼稚園年長さんの孫に話すと私と二人でも行くと言う。
当日曇っているが風がないためかそれ程冷たくない。お椀と箸を袋に入れ二人で出掛ける。
色々のイベントが用意されていて、挨拶が終わると博物館で昔の遊びが見られるという。
入場料は無料、博物館でクイズも用意されていた。
いつも引っ込み思案の孫だが、聞くと“やってみる”と言って係りのお姉さんの所に行って紙と鉛筆を貰って来て始める。
と言ってもやっとひらがなが読めるようになり、字が何とか書けるかなという所である。
設問番号は展示ケースの前に出ていて、答えを丸と四角の中に書くのだが、読んで理解するのが難しい。
たどたどしい字で書き込んでいる。左右反転の字やカナも混じっている。
でも8問やり遂げた。
元の所に戻って次ぎは餅つき、“やりたいひと”と声が掛かると、意外にも手を上げて直ぐに並んだ。
おじさんに手伝って貰って杵を持って“よいしょ”と言って6回ついて交代。
つき終った餅は隣でお母さん達が手際よく小さくちぎってきな粉にまぶし丸める。
今度はこちらに並びお椀に入れて貰う。大勢だから二つずつである。
私も何十年振りかで搗きたての餅を味わった。
離れた所では、煙と湯気を上げ、大鍋と大釜で豚汁がつくられている。
こちらも並んでお椀にもって貰う。味噌仕立てで美味しい。
竹鉄砲つくりや野菜の直売もやっていた。
孫には、よい思い出になることだろう。私はお礼と何枚かの写真をメールでMさんにお送りした。
遠州地方の城に20程あげられている。その内今までに私の訪れたのは8つである。
掛川城 :二の丸御殿は国の重文指定になっている。平成6年に城が再建、整備されている。
新幹線掛川駅からも北側に見える。
駿府城 :石垣、堀などの遺構があり、巽櫓南門が再建されている。
高天神城:掛川市小笠山に曲輪、土塁の遺構がある。高天神の名に興味をそそられる。
浜松城 :野面積の石垣、曲輪などの遺構がある。昭和33年に再建された天守は模擬天守である。
二俣城 :石垣、土塁、堀、天守台の遺構がある。北側は絶壁の谷で下に川が流れている。
城の立地条件のわかる遺構である。
南側の近くに鳥羽山公園があり鳥羽山城跡とも言われているがはっきりしない。
諏訪原城:土塁、曲輪、堀のある城跡である。菊川にある。
山中城 :城跡に障子堀、畝堀などが残っている。三島市にある。
横須賀城:石垣、土塁、水堀、移築櫓などがある。掛川市にある。
イギリスやドイツで見た城もその風土に合っていて美しいが、日本の城はもっともっと美しい。
大抵は石垣の上に築かれていて、黒と白を基調にした大小様々な三角形の曲線と直線で構成される端正な造形美。青空を背景にして凛とそびえている天守閣、そこに展開されたであろうドラマを想うと熱くなって来る。
曲輪、堀・土塁・石垣、櫓、塀、虎口、天守。そして城には大抵櫻がつきものである。
然し私の櫻には、いつも暗い翳がふっと付き纏う。
戦中の国民学校高学年の時、毎朝先生について「君のため何か惜しまん若桜、散ってかいある命なりせば」と吟詠させられた記憶からか、中学に入って親友が“俺予科練に志願する”と言ったのが、校庭の咲き乱れる櫻の木の下であったからか。レイヤーをめくるといつも必ず出て来る。
城にまつわる歌曲は「荒城の月」かな。土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲、
春高楼の花の宴、巡る盃影さして、千代の松が枝分け出でし、昔の光今いずこ
秋陣営の霜の色、鳴きゆく雁の数見せて、植うる剣に沿ひし、昔の光今いずこ
今荒城の夜半の月、変らぬ光誰がためぞ、垣に残るはただ葛、松に歌ふはただ嵐
天上影は変はらねど、栄枯は移る世の姿、映さんとてか今も尚、ああ荒城の夜半の月
そういえば大分竹田市の石垣のみの岡城址(国指定史跡)に荒城の月の歌碑があったな。
遠い山並みの夕映えは素晴らしかったな。
何箇所かの札所めぐりはきちんと纏めてあるのに、城については纏めていない。
日本の城をどれ位訪れたことだろう、50位だろうか。「日本の城」の本を持っており、最近又「城郭」という本を購入した。調べてみよう。
島原城、岡城址、唐津城、中津城、杵築城、小倉城、松山城、高知城、高松城、国宝天守の姫路城、大阪城、
名古屋城、長篠城、松本城、小諸城、大野城、勝山城、朝倉城址、一乗谷城、丸岡城、金澤城、上山城、
山形城、弘前城、―――。
それぞれに熱い想い出が浮かぶ。
やっぱりやっていました他の製紙会社も。再生紙の偽装。
「日本製紙」「王子製紙」の他に「三菱製紙」「大王製紙」「北越製紙」三社が時を合わせて記者会見し偽装を認めた。裏で連絡を取り合ったに違いない。
中でも三菱製紙の佐藤社長は“本社はまったく知らなかった”と言って私は悪くないといいたげであった。工場経験者だという。
三菱と言えば日本を支える大企業グループであるが、どの分野でも談合、隠ぺい行為、偽装の得意な大グループで、しかも人をだますということが悪いと思っていないトップの君臨するグループになってしまった様に思うがどうであろう。
| 固定リンク
今年に入ってもニュース番組でトップが頭を下げて謝罪しているシーンを沢山見る。
製紙大手の「日本製紙」の偽装再生紙の問題。NHK記者らのインサイダー取引問題。
よく調べれば他の製紙会社や、他の記者もやっているかも知れない疑いがある。
株価はぐんぐん下がるし、どんどん円高になるし、身近な物価は上がるしよいことがない。
そんな中で前にも書いたが、問題だらけの三菱自動車の元社長河添被告ら元役員四人の判決が横浜地裁であった。四被告にいずれも有罪判決を言い渡した。業務上過失致死罪で執行猶予付きの禁固刑である。
トップの刑事責任を認めた痛快な判決である。
長年の隠ぺい行為、リコール隠し、ヤミ改修。それでもなお不服で即日控訴した。
こういう人がトップに君臨していたのであるから、三菱自動車はたいした会社ではないと言う所以である。
| 固定リンク
ファミリークリスマスイブ
こんな時しか出番のない重たい大きな座卓が座敷に運び出される。カップや皿、飲み物、料理も運ばれて準備完了。
予行までしたという小学校三年生の孫娘の発想、司会進行で,我が家八人のクリスマスイブがはじまる。
“初めにママの挨拶”終わって“パパの乾杯の挨拶”孫達は炭酸水、大人はシャンパンで乾杯、クラッカーが飛び交う。大きなサンタの縫いぐるみ人形よりクリスマスソングが流れる。
次にボジョレヌーボのワインを飲みながらの食事、食事は和洋折衷で総てばぁばの手作りである。
次にプレゼント交換会,予めそれぞれに用意して来た袋をサンタのソングに合わせて手渡しで回し、ソングの終わった時に手にしているものが贈り物になる。
更に紙が渡され全員のお絵かき大会、司会に提出すると、“開けてはいけない”と言って小さな二つ折のシートが配られる。一斉に開けると絵が描いてあってはずれと書いてある。一人だけ当りがいて、特別賞を貰う。
いよいよケーキの登場、キャンドルを灯し、電灯を消して皆で手を合わせ“ありがとう”と言ってから司会がカットする。八等分だから切り易い。それからお茶になる。
頃合をみて、孫娘の笛の演奏、幼稚園年長の孫のピアノ鍵盤での両手を使った演奏が披露される。
かくして我が家のファミリークリスマスはお開きとなる。
ささやかではあるが、どんなにお金を積んでも味合えない幸せを贈られる。
庭にめじろ
もみじの葉が一枚もなくなった頃、やっと庭屋さんが来て木々がさっぱりし、少し透けて見えるようになった。もう梅の枝に沢山の小さな新芽が見える。
朝早く起きて見ると、梅とさざんかの茂みにめじろとほほじろが来てチィロチィロ、そっと目を凝らして見る、間違いない。
今年もこれでおわりです。辺ぴなところにお立ち寄り頂いた方々、コメントを頂いた方々誠にありがとうございました。
| 固定リンク
三菱自動車の元幹部にハブ欠陥事件で横浜地検は有罪判決を下した。当然である。
ハブが破損すれば、車輪がすっ飛ぶ位私でもわかる。
死傷事故以前にもハブ破断事故が多発していたのに、使用者の整備不良などと言い虚偽の報告をしている。同社はクラッチの欠陥事故でも罪に問われている。
これでも企業の責任が問われないのは不思議である。
三菱重工業を中心にする日本の大企業グループの一員だからだろうか。
もともと三菱自動車はたいした会社ではないのである。リコール隠しなど安全を軽視し隠蔽するのが得意な姿勢の会社で、品質保証部門など置いてあるだけで役割を果たせないのである。
設計開発部門もなっていない。両被告は公判で社内の技術陣から強度不足はないと聞いていたと主張している。設計部門の人は破断した現品を見たのだろうか。見せろと言ったのだろうか。
亡くなった娘の母親が、刑が軽いと訴えている姿が悲しい。
ささやかな拘り
私は髭剃りに電動のものも幾つか持っているが試し位で仕舞いこんであり、日常には使っていない。
日常にはU.S.A.のSchick Injector Twin bladesの剃刀を使っている。
そして髭剃り用のブラシは20年以上も前に、あちらこちら探して、結局銀座の或るお店でMade in EnglandのKENTのブラシを気に入り購入した。当時で三千円はした記憶がある。KENT Made in Englandと書かれてありその下にPure Bristleと書いてある。
でもさすがに最近は、私の頭と同じで抜け毛が多くなり交換しょうと思っている。
今度もMade in Englandのブラシを購入したが、少し剛毛なのが気になっている。
関東学院大学に関わりはないが、ラグビー部の春口監督が辞任されたと報じられている。
春口さんは無名の関東学院大学ラグビー部を、関東大学リーグのトップにまで押し上げた
功労者であり、惜しい方である。
部員の大麻事件についての対応、進退を誤ったばかりに大変な汚点を残して止められた。
指導者の出処進退について改めて思う。
それにしてもこの頃、会見で何人か並んで頭を下げているシーンの何と多いことだろう。
二日に好天の国立競技場で関東大学ラクビー対抗戦、全勝同士の早・明戦が行われた。
結果は記録に残る早稲田の圧勝に終わった。明治もそれ程力の差はないと思ったのだが、文字通りの早稲田の圧勝であった。
気力、スピード、連携、展開、総てに勝り、終盤には四人ものリザーブの選手を入れる余裕を見せた。
何故なのだろうか。両校の監督、キャプテンの分析結果を聞いてみたい。
ラグビーと言えば前にも触れたが、関東学院大はお粗末な大学である。
ラグビー部員が大麻栽培事件で起訴されたが、最近他に十二人の部員が大麻を吸っていたと報じられている。大学ははじめ個人の問題と片付け、後に渋々来年3月までの対外試合自粛を決めた。
大学の調査はどうだったのか、松井学長は「事実とすれば遺憾」と言っているだけでどうするのか言っていない。春口監督はもっとひどい。ものが見えていない。
事実なら協会も一年間対外試合禁止位の処分を下すべきであろう。
世の中は、お金持ちとひまな人で溢れているらしい。
所詮フランス、ミシュランの格付けでしかないのに、三ツ星などのお店が発表になったと言うと、忽ち紹介本が売り切れる。
紹介された店は、予約電話の殺到で電話番を雇いたいともいう忙しさ。一ヶ月先までも予約で一杯だと言う。その店の常連さんや行ったことのある人は別にして、何で全く知らなかった人が殺到するのだろうか。話題作りか、話の種か、私も行っていると自慢したいのか。
民間テレビ局も、お金と暇を持て余しているのだなあと思う。どこを回しても横並びの同じニュースで、どんな人が調査員だったのか調べ回って似顔絵まで作ったり、スタジオに三ツ星の店が作ったという料理を運んで来て、コメンテーターと皆で食べて、皆が同じく“おいしい”と言って、それを仕事にして得意顔、アホらしい。
比較自体全く無理なのだが、費用対効果(美味しさ)でみると、三ツ星でも海鮮料理などを除くと、我が家の家庭料理の足元にも及ばない様に思う。
食に限らず何でも一流のものを体験する、経験するという事は大切な事である。でもそれは時間を掛けて自分で調べるものなのである。
ちなみに我が家の家庭料理は、米は越後のこしひかり、味噌は越後味噌、酒も越後の銘酒、野菜は自分で無農薬栽培の採りたて品、腕は家内の絶品料理、感謝である。
小学校低学年の孫娘から手紙を貰うことがある。
“ばばまへ、いつもおいしいゴハンありがとう、おいしいよ。がんばって!!”丸の中にサインがあって。
11月18日(日)にアクトシティ浜松/大ホールにてYuki Morita Ballet Presentation ‘07が開催された。
入場料1500円、全席自由席のため開場は3:00pmなのに二時頃から行列が出来、長蛇の列となる。にっかはしくないが、私もその中の一員となる。
比較的前の方の席に座れた。広い大ホールも一杯になる。3:30pm開演。
「白鳥の湖」「ワルプルギスの夜」他、東京からゲストもお呼びしての公演である。
初めてではないが、バレーはこういうものだと思ってオペラグラスを手にみる。
実はYuki Morita教室でバレーを習っている子供達の発表会の場でもある。
寧ろその子供達の父兄、家族、友達、知人などの方が多いのかも知れない。
小学校低学年の孫も出演した。お化粧して同じ衣装を着ると、オペラグラスで余程注意して見ないと、確認出来ない。
特訓の成果も出てみんなよく揃って踊れた。
小学校低学年の時からライトを浴びて大舞台に立てば、よい経験になるかな。
クロークにはお祝いの花束や、プレゼントが沢山届いていて。
でも嬉しさと共に、そんな経験を持てない子供達に、思いやりの気持ちを忘れないでと願う。
“ここは瀬戸内土庄港、のんでおゆきよもう一杯”女性の誰かが歌っているのを聞いた
ことがある。有名な港の歌は沢山あるが、聞いたことのない港名であったので、瀬戸内
の地図をひろげて片っ端から探してみた。小豆島の西の外れ土庄町にあった。
しかし歌手も分からないし、題名も分からない。さんざん苦労してやっと判明した。
歌手石川さゆり、作詞吉岡治の「波止場しぐれ」二節目の後の方に出て来る歌詞であ
った。
“ここは瀬戸内土庄港
のんでおゆきよもう一杯
浮世小路のネオン酒“
波止場という呼び方もいいし、見ていない情景、情感が伝わってくる。
これが演歌なのかも知れない。
ラグビーはスピード、パワー、連帯、フェアーなスポーツで激しい戦いが終わればノーサイドでお互いに握手して分かれる好きなスポーツである。
応援も野球などと違って笛や鐘太鼓もないし、騒がしくないし雰囲気がよい。特に正月ラグビーの雰囲気は好きである。
関東学院大学のラグビー部は弱小であったが、春口廣監督が短期間に育て上げ、今や関東大学リーグ戦グループ、全国大学選手権の強豪校となり、大学ラグビー界の王者として君臨している。
そのラグビー部の部員二人が、大麻栽培の現行犯で逮捕された。
大学側は当初の昼の会見で、個人の問題として軽く扱ったが、所属する協会より勧告されて半日経った夜の会見で、リーグ戦への出場辞退、優勝辞退を発表し協会も了承した。
どうしてこうなるのだろう、ちょっと強くなりちやほやされると、増長、慢心するのである。
麻薬も恐くなくなり、部員も監督も大学も悪い事をしたと思わなくなるのである。
そしてただ責任回避に走る。
日常生活の中で現に慎まないといけないことである。
ほとぼりが冷めて来たので、亀田問題に触れよう。
一番悪いのは、報道の自由を楯にしたマスコミメデアであり、次がボクシング協会である。
何をしても金儲けになればよいし、テレビ視聴率が上がればよいのである。
特にTBS、番組司会者もコメンテイター顔して出ている出演者も。
スポーツやマナーをほって置いて、無法を増長させあおりにあおって置いて。
問題になると、手の平を返す様に品位だの、やった亀田本人が悪いなどと言って憚らない。
ボクシング協会も救世主扱いで、何の注意勧告もして来ていない。事後の罰則も甘い。
TBSやボクシング協会の謝罪はあったのだろうか。
亀田の謝罪は謝罪になっていない。自分が悪いと思っていないからだ。
それに引き換え対戦者のチャンピオンの態度、応答は見事であった。
ボクシングも捨てたものではない。
今年は異常に暑かったから、冬野菜の種まき時期をどうしょうかと考え、3段階に分けてみた。
1)例年通り・・・未だ暑くて大根など三日目で芽が出て、直ぐに大きくなったが、虫に相当やられた。
2)例年の1週間遅れ・・・大根、小松菜など例年並みの発芽で普通の生育状態、虫の被害はない。
3)例年の2週間遅れ・・・大根、小松菜など発芽は遅いし、まばらで、中々大きくならない。
追加で蒔いたものも望み薄である。
野菜の種まき、植え付けは、自然の季節に敏感で、正直に反応する。降り注ぐ愛情だけではどうにも
ならない。
昨日、毎日順延になっていた広沢小の運動会があり行ってみた。
暑い程の晴天であった。
徒競走、小さくても凄く速い子もいれば、おそい子もいる。
でもみんな一生懸命に走っている。
思わず私のパソコンレッスンが浮かんで来て苦笑する。
ちなみに三年生の孫(女の子)は3等であった。全体四つの白組クラスは優勝。
小さな優勝の金色のリボンと3等の白リボンを胸につけて、誇らしげであった。
今日は幼稚園の運動会、年長さんに孫(男の子)がいるので行ってみた。
今日も暑い程の晴天であった。
幼稚園の先生って大変な仕事だな。
催し物に大変工夫が見られ感心した。
年少さん、年中さん、年長さんにも。
そして来年入園予定の子供達にも、今年卒業した子供達にも。
更にお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんにも。
文字通り全員参加である。
青空に万国旗が閃いて平和な世界であった。
昨日久し振りに浜松市美術館に行った。Ⅰ期のはままつの美術家展を見るためである。
何と薄暗い入り口だろうか。浜松市の文化にかける想いが全く感じられない。
ついでに浜松城によって見た。休日のせいか下からぼつぼつ登って来る人達に出会った。
浜松城を再建しようとする動きもあるようだが、無駄以外の何物でもない。
駅前の遠鉄百貨店で、人間国宝14代 酒井田柿右衛門展をやっているというので、寄ってみた。
百万円単位の壺や皿が並んでいた。隅の方にチョコが一対で20何万円かで出展されていた。
何と20ケ以上の約定の赤いシールが張られていた。ふーん、世の中お金持ちで溢れているのだ。
暑さ寒さも彼岸までというが、今日は朝から雲一つない晴天で暑い日差しが照りつけ
ている。久し振りに鴨江寺にお参りしょう。歩こうか、無理しないでバスにする。
鴨江寺の階段は一段がひどく高い、老人向けに緩斜面路が必要である。
暑い日差しの中で蝋燭の火がぎらぎらと燃え、お線香の煙が火をかき消す様に立ちの
ぼっている。
お参りしてから鐘楼に上がって鐘を突く、鐘の響き、振波動が何とも言えずに伝わって
くる。
ちょっと気になって戻って正面の蝋燭立ての数を数えてみた。一列13本で4段、
それが6つであった。
露天や植木市も出ていたが、この暑さではねぇ。
やっと思い出せた。
ケルン中央駅の近くの地下にあるKÜppers KÖischという店のカウンターで生ビアー
を飲み、肉料理の昼食をとったのを覚えている。
ドイツのオルペだかフェルンタールだったか、田舎の町の一軒宿のホテルに泊まり、翌
朝早く起きておもてに出ると、霧を通してあちこちから教会の鐘の音が聞こえて来たの
にはいたく感動した。
東西ドイツ統合前の時代である。
私の田舎の越後、弥彦山の見える蒲原の野が、何と新潟市南区になったのだ。驚きである。
地名からは越後平野は全く連想出来ない。
前は郡、村であり、後に白根市になった経緯があるが。(白根の大凧で有名)
郵便番号変換ウイザートで住所を出して、住所録を変更しないといけないな。
数十年も昔の戦後間もない旧制中学校に、英語を教えていた少し度の強い眼鏡をか
けたK先生が居た。後でわかったが敬虔なクリスチャンであった。
そのK先生がある時期にキリスト教研究会を立ち上げた。私はその研究会に参加し
た。数人いたろうか、よく覚えていない。
新約聖書、the gospel according to MATTHEW マタイによる福音書 で始まる。
小さな字で左側に英語、右側に日本語で書かれている。
それを皆で読んだ後で解説して下さるのであった。
旧約聖書も是非と薦められていた。旧約聖書は右めくりの縦書きで、創世記から始ま
る。小さな文字にルビがうってあるので、今では眼鏡をかけてもよく見えない。
それに賛美歌集、何故か今も書棚の一部を占有している。
縁あって1979(昭、54)年10月にフランスのノートルダム大聖堂、マドレーヌ教会を、
そしてドイツのケルン大聖堂(Koln Dom)を訪れている。
デュッセルドルフ駅の案内所に行き、時刻表を見てケルン駅までの切符を買った。
Koln HBFとでも言ったのか。ドイツ鉄道の長い列車に乗って30分程の旅がはじまる。
Dusseldorf HBFからKoln HBFまで、ゴシック風の尖塔が見えてきた時には感激した。
ケルン中央駅(Haupt bahn hof)の前にある。
聖堂の正式名称はDom St Peter und Mariaという。
最前列の素朴なかたい木の長椅子に座った感触は今も忘れない。
1996年に世界遺産に登録されている。
1981年(昭、56)10月に長崎市南山手町にある大浦天主堂と本尾町の山麗にある
浦上天主堂(昭、33年に原爆による崩壊から再建された)を訪れている。
浦上天主堂は訪れた年の2月にヨハネ・パウロⅡ世の司式により叙階ミサが行はれて
いる。 ステンドグラスとマリア像と!
先に触れた戦後間もない旧制中学で、英語の教師がオルガンで或る歌を教えて下さ
った。今にして思えば「歓喜の歌」である。
歌詞はどなたの翻訳か分からない。うろ覚えである。でも今も私の賛美歌である。
讃えよ、うたえよ、神の御業を、(で始まり)- - - -春日に微笑むつぼみをみよ
や。(で終わった)様に思う。
この歌詞は今どこにも見当たらない。
終戦の日から62年目を迎える。その日も晴天で暑かった。
勤労動員は何故か重大な放送があるとかで休みで、自宅待機であった。
昼、途切れ途切れでよく聞こえない真空管ラジオにかじりついて、玉音放送を聴いた。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでと聞こえてきた。負けたのだ。終わったのだ。
あの暑い日の光景は焼きついていて消えない。
そのあと日頃飛ぶことのない日本の飛行機がやたらに飛んでいたのを覚えている。
或る街は空襲を受けて、一面の焼野原、燻ぶり続けていて、強い死臭だけが漂ってい
た。あの光景、臭気も焼きついていて消えない。
昭和天皇の誕生日であっただけの4月29日が「昭和の日」に変わって祝日である。
何故なのだろう。抹殺すればよいと思う。
前にも触れたがあの無謀な戦争で300万人以上の国民を死に追いやり、近隣他国
にも甚大な被害を及ぼした指導者たちの責任は極めて重い。
A級戦犯28人起訴、25人が有罪となった。東条英機、(元、首相・陸軍大臣・参謀総長・陸軍大将)らである。妥当でないか。
でも東条大将よりもっと偉い統帥権のあった現人神 天皇(大元帥閣下){昭和天皇}
の戦争責任は更に重い。
現天皇や皇太子もそのことについて、深く想いを致すべきであろう。
人類は愚かである。未だにどこかで戦いが続いていて止まる所を知らない。
遠州地方には初盆供養の行事が色濃く残っている。
昨日ゴルフ仲間だったHさんの盆供に、同じゴルフ仲間だった友達と伺った。
仏壇と遺影が花で囲まれて飾られていて、前にはお供え物やうまが供えられていた。
男のひとの場合きうりのうま、女のひとの場合なすのうま、うまの眼、耳、尾、脚も何を使
うか決まっているのだそうだ。ごはんに味噌汁、惣菜、――。
更に右の段に七束の素麺、わかめ、昆布、南瓜などなど。
お線香をあげおまいりする。あと奥様としばしの想い出話。
盆の迎え火、送り火、この風習を残して行きたいものである。
遠州大念仏の行事も残されている。
民謡もいいものだ
昔、まだカラオケもない時代に、友人が飲むと歌った民謡がある。
宮城県民謡 斎(さい)太郎(たら)節(ぶし)(大漁唄い込み)である。
松島のサーヨー 瑞巌寺ほどの寺もない トーエー
アレワエーエエ エイト ソーリヤ 大漁だエ
前は海 サーヨー 後ろは山で 小松原 トーエー
アレワエーエエ エイト ソーリヤ 大漁だエ
その友人も今はない。
山梨県民謡 武田節
祖霊まします この山河
敵に踏ませて なるものか
人は石垣 人は城
情(なさけ)は味方 あだは敵 あだは敵
新潟県民謡 相川音頭 優美な民謡である
ドッと笑うて たつ浪風の ハイ ハイ ハイ
荒き折節 義経公は ハイ ハイ ハイ
いかがしつらん 弓取り落し ハイ ハイ ハイ
しかも引潮 矢よりも早く ハイ ハイ ハイ
お座敷で、三味線と太鼓に合わせて歌ったのはいつの日のことか。
歌謡曲もいいものだ
“歌に想い出が寄り添い、想い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れて
ゆきます“。NHKアナウンサー 中西 龍さんの名セリフである。
抒情歌、作詞家、・・・どんな生活体験やひらめきを持たれているのだろうか。
阿久 悠(悪友)さんが亡くなられた。昭和の作詞家だと言う。
「舟歌」
お酒はぬるめの燗がいい
― ― ― ― ― ― ―
灯(あかり)はぼんやりともりゃいい
しみじみ飲めばしみじみと
想い出だけが行き過ぎる
― ― ―
― ― ―
浪曲もいいものだ
あまり見ないテレビのスイッチを入れたら、たまたまNHKで浪曲をやっていて、一時間近く聞いてしまった。
東西浪曲特選 春日井梅光 「越後獅子祭り」と京山小円嬢 「名刀稲荷丸」であった。
名調子に三味線が合わせて。浪曲特有の情緒がある。
昔、広沢虎造 「佐渡情話」や「三十石船」などを聞いた記憶が蘇る。
私の親父が少し謡曲をやっていた。聞き覚えた中で、私の一番好きなのは「鉢の木」である。
雪の日に上野国佐野庄に住む佐野原左右衛門常世の家に一夜の宿を求めた旅人へ
のもてなしの物語である。
暖をとる薪とてないので、大切にしていた鉢の木を手折って燃やし暖めてあげた。
旅人は最明寺入道北条時頼であって、いざ鎌倉で馳せ参じた時に探し出され、後に
加賀の梅田、越中の桜井、上野の松田井の三ヶ庄を与えられた。
昨日大工町にある画廊に第22回地元作家によるマイアート展 能面 を見に行って来た。
渋川にお住まいの伊藤弥兵衛さんという方が地元の能面作りの元祖であるとのことで
勿論作品も展示されていた。28人の方が出品されていた。
能面の内に秘められた精神性の表し方、厳しい美しさ、同一面での左右の陰陽による
相反する表情、よーく観ると半面の表情は厳しくて眼の形も違っている。
よく眼を切るとも言われている。日本人の美的感覚に触れたひと時であった。
私の故郷を詠んでいるうたがひょんなことから見つかった。
はてもなき 蒲原の野に 紫の蝙蝠のごとある 弥彦かな よさのあきこ
越後蒲原の平野から弥彦山を望んだうたで、堀口大学が激賞している。
昨日9日、市役所に行ってみた。
保険年金課医療グループという所である。対応は予想以上に良かった。
「老人保健基準収入額適用申請書」を提出した。老人医療費3割負担が1割負担になると言う。助かる。
但し老人世帯で前年の合計収入額が520万円未満の方である。
次に折角だから、住民税が非常に高いので内容を聞いてみようと思って、担当の部署を聞いて寄ってみた。
(普通前年の2倍位になると聞いていたが、私は2.5倍以上になっていた)
北側の中区の税務を扱っている部署だった。ここも対応は非常に良かった。
平成18年度と19年度の住民税を比較し法改正の内容などを説明してくれ、相違の大きな点を指摘して下さった。或る控除が確定申告していなかった為落ちていて高くなっていた。
幸い18年分の資料を持って行っていたので、その場で「平成19年度分市民税・県民税申告書を提出できた。
これで何万円か軽くなり前年の2倍強に落ち着く様である。
既に6月分を支払い済みであるが、年間で調整されるとのこと。
敬遠しないで行ってみるものである。
気を良くして西税務署にも足を伸ばしてみた。空いていた。
所得税が非常に高いので、前年分の資料を見せて聞いてみた。
平成18年分の所得税の確定申告の書き方を教わり提出した。短時間で済んだ。
こちらも還付金が何万円かある。嬉しい。
確定申告はきちんと提出しないといけない事が分かった。
もし行かなければ、誰も何もしてくれないし、払わなくてよい税金を払っていることになるのである。
談合事件が後を絶たない。金儲けになるからである。
事件が発覚すると、会長や社長が再発防止に努めますといってちょこんと頭を下げる。
過去の談合事件番付け表を作って、発表したらどうだろう。繰り返し回数の多い企業を横綱として。
三菱重工業、大林組、から大、中、小、様々である。
落札価格に近い高価格で落札できるし、黙っていて仕事が来るし、関連企業は仕事にありつけるし。
少々の課徴金や業務停止位の制裁は、めじゃ無いのである。その何倍も楽して儲かるからである。
その中から企業献金やまいないが配られる。
現代の水戸黄門のドラマと変わらないが、悪代官さまはいても、黄門さまが居ないのである。
朝鮮総連会館をめぐる一連の出来事は、奇奇怪怪である。全くわからない。
でもマスコミはあまり騒がない。何故なのだろう、危ないのかな。わからない。
公安調査庁ってどんなところなのだろう。素朴な疑問である。
ボランテアや介護で献身的な奉仕をしている人もいれば、その名のもとで地位や金儲けを企んでいる人もいる。
悪いことをして金儲けし、急成長して六本木に事務所でも構えれば、若手実業家としてちやほやされ、経済団体連合会の理事にでも納まろうというものである。
牛肉の偽装問題も後を絶たない。安いものを提供するという名のもとでの金儲けである。表に何件も出るということは、その裏に膨大な似た様なものが潜んでいるということである。 或る法則がある。
スーパーなどでお年寄りが、食品の包装に眼を近つけて、内容や賞味期限を確かめている現場を見ると悲しい。
有識者とか大学教授の中にも金儲けの為に助成金をちょろまかしたり、関わっている企業から多額の献金を受けているのに、知らぬ顔をしてその企業の検討の為の政府の諮問機関に名を連ね、審議している。
一人、二人ではない、半数近くに及ぶ。これもその裏に多くの似た様なものが潜んでいるということである。
一般には氷山の一角などと呼ばれている。
お金持ちや肩書きは特殊フィルターの入った眼鏡で見た方が確かである様に思える。
確かな食べ物は自分で作る農作物か。
天と地の恵みを受けて。
不思議なもので、時期が来るとそれなりに育ち一安心する。
にがうりもおくらもしっかりして来た。
赤くなったミニトマトを手のひらでちょっと拭って痛快丸かじり。
土に触れる生活は健康で正直である。
昨日新しい畑で夏野菜の初収穫をした。
と言ってもきうり一本である。形は悪いが緑が濃く売っているもと比較にならない。
味も濃い。おてんとうさまに感謝である。
どうも土地が痩せている感じがする。草との戦いからアブラムシとの戦いに移っている。
昨夜来の雨で未だぬかるんでいる(じゅるい)かも知れないが、今日は晴天なので畑に出掛ける。
下は未だ少しぬかるんでいるが作業は出来る。なすに支柱を立ててひもで結わいてやる。次にきうりに高い支柱を組んでやり、同じくひもで結わいてやる。
露天で無農薬栽培だから、一本一本元気具合やアブラムシなどを見てやりながらの作業で、結構根気がいるし、時間も掛かる。私が作物栽培は愛情であるという所以である。
しかし周りは長閑である。一面の緑に囲まれ、野辺の花を見、ひばりのさえずりを聞き、流れる白雲を追い、大地に触れて。悠々の時が流れる。
特殊記号を用いた楕円模様の中に、花の写真を入れようと試みるのだが
どうしても嫌々して入らない。花の写真の中に楕円模様は入るのだが。
皆さんのH.Pやブログを見ると、何と素敵に納まっていることよ。
寒気に襲われる。
4月29日が「緑の日」から「昭和の日」に変わって祝日である。
単に昭和天皇の誕生日であっただけなのに。
残したいなら思い切って「昭和節」にすれば良かったのに。
読売新聞は太平洋戦争の呼び名を昭和戦争に統一した。
憲法改正についての議論が騒がしい。その前に国民投票法案の論議がある。
敗戦の年に生まれた赤子も今や62歳である。
時はもの言わずに立ち止まることなく流れている。
わたしゃ大地を相手に夏野菜の植え付けと種まきである。
ちょっとテレビを見たら、今年の連休中の人手予想が出ていた。
第一位は青森、桜の弘前城であった。やっぱりな、桜まつりどんなに混雑するのだろう。
第五位は静岡、浜松祭りであった。近間でゆっくり楽しむとするか。
実は今年も青森弘前城の桜、角館の桜、北上展勝地の桜を見に行こうと明日出発で計画したのだが、
昨年よりは早いと言うものの、今日夕方の段階では、咲き始めの状態で、南の北上でもやっと5分咲き
の状態なので、急遽取り止めた。
やはり5月5日位が満開なのである。でもその頃は交通機関の混雑もひどいし、本当に人人人であふれている。
何かよい手段はないものかな。咲き誇る桜に出会うのは難しい。
”あなた竹の子堀にいらっしゃらない”とゴルフ友達の女性から電話を頂いた。
指定の場所に伺うと間もなく娘さんと二人で来られた。
佐鳴湖を見下ろす山の竹林に登り、用意されている竹の子堀用のツルハシとスコップで、竹の子を見付けては掘り起こす。10本程とった。“うちはまだあるからみんな持って行って”出来ない体験をした上に全部頂いて帰った。
新鮮なうちに直ぐ食べよう。なんと贅沢。ありがたいことである。
昨年新たに15坪程の農地を冨塚町青葉台団地の北西側にお借りした。
周りは茶畠と農地で、風が強いことを除けばいたって長閑である。
だが花のびると言うのだそうだが(定かでない)、地下に球根を持った草が繁茂し、
球根から取らないとどんどん増えるので、その除去に3月から延べ11日間を要した。
前に作物作りは愛情であると書いたが、根気のいる作業である。
今日やっと終わり、これから夏野菜の植え付けである。
年毎に植え付けが早くなっている傾向にある。温暖化もあるが苗やさんが早く出すので、
遅くなるとなくなる傾向にある。
せめて農作業位、自然に合わせてのんびりやりたいのに。
桜について何回かふれて来た。今の教育も180度違って酷いが、もっと酷かった時代がある。
私が国民学校の時、毎朝先生の後について吟じさせられたうたがある。
「君のため何か惜しまん若桜、散って甲斐ある命なりせば」
この季節になると何故かひそかに湧き出てくる。なんだったのだろう。
洗脳に近い全体主義思想、戦前の道徳観、神風特別攻撃隊(特攻)、若くして散った命。
何年か前に出会った忘れられない高木修三さんの句がある。
「今年また一期一会のさくらかな」
今年は桜の開花が早いと言われている。
一日の日曜日、何年振りかに長篠城本丸跡の桜を見に出掛ける。
満開には少し早かったが静かに咲いていた。
たんぽぽの黄色い花が一面に咲き、わたすげが風に舞っていた。
たまたま直ぐそばを本数の少ない天竜浜名湖線の四両電車が通り過ぎる。
のどかである。
昔から叩けば埃が出ると言われている。最近は触れるだけで埃の出る人が多い。
前にも書いたが私は所謂有識者と呼ばれる人達や○○審議会委員などになっている人達を余り信用していない。自分の利益だけ考えていて、裏でお金が動いているからだ。
最近も酷いのがあった。インフルエンザ薬、タミフルの有害性有無の審議委員の中、三人もが当該製薬会社から多額の寄付金を受け取っていたと報じられている。
お金を貰っていて都合の悪い結論など出せる訳がない。
厚生労働省もそんな大学教授などを委員に任命するのだから、同じ様なもので、厳しいことは委員にも製薬会社にも言えないのである。
どうしてお金に執着するのだろう。事が明るみに出ると決まってそういう人達は否定から始まる。
自分だけよければ他のことなどどうでもよいのである。
最近よく何十年も前に読んだ芥川竜之介の「蜘蛛の糸」を想起する。
蜘蛛の糸は何故切れたのだろうか。お釈迦様の慈悲の糸だったのに。
蜘蛛の糸にすがって助かろうとしたのに、自分だけがと我欲を持ったからだ。
地獄とは人間の我執の想念の世界なのだ。
ひとには よくしてあげようと思う。
近頃ブログにページめくり画像が載っているのをよく見掛ける。
かく言う私も真似してやってみているのだが、気に入ったものが出来ない。
考えてみると、料理と同じで仕込み材料の新鮮さ、豊富さに左右されるようだ。
着想の新鮮さは勿論である。でも何とかあるもので工夫してみようと思う。
法雲寺(ほううんじ) 大黒尊天 磐田市向笠西 桜、数千本のあじさいがある。(梅、沙羅双樹も)
東海道本線磐田駅から北へ森町に向い東名高速道路を潜った少し北にある。
向笠城とりでの跡にあると言われている。
(福王寺さんから北へ進み、東名高速道路を越えた北にある。6km。)
極楽寺(ごくらくじ) 寿老尊天 森町一宮 あじさい
二俣線遠江一宮駅から北西にある。法雲寺さんから約8km。
永江院(ようこういん) 布袋尊天 掛川市下垂木(雄大な釈迦涅槃図がある) 桜
東海道本線掛川駅から北、国道一号線を渡った少し北にある。極楽寺さんから約18km。
官長寺(かんちょうじ) 恵比寿尊天 浜岡町佐倉
国道150号線のバイパス沿いにある浜岡原発の真北150号線の更に北にある。永江院さんから23kmある。
境内には大きな蘇鉄が繁り、石仏や庭園の石組が往時の遺構を偲ばせている。
増船寺(ぞうせんじ) 毘沙門尊天 御前崎町白羽 さつき
官長寺さんから御前崎灯台の方へ5km程行った所にある。
円山応挙の幽霊画が有名。(他に地獄絵、極楽絵)
遠州七福神霊場会事務局になっている。
松秀寺(しょうしゅうじ) 弁財尊天 浅羽町富里
増船寺さんから国道150号線を西に戻り大須賀町から浅羽町に入り大田川を渡る手前にある。増船寺さんから30kmある。
弁財池に群生する睡蓮が白い大輪の花を開かせる。
福王寺(ふくおうじ) 福禄寿尊天 磐田市城之崎 長藤、さつき
東海道本線掛川駅から北東の国道1号線との間にある。松秀寺さんから7km。
山門は遠州最古のものと言われている。萬両園という大庭園がある。
遠州七福神巡拝余話
私が未だ仕事をしていた時で、休日を利用して車で家内と巡拝した。
それぞれにご朱印を頂いている。旧い絵図なども見ることが出来た。
一番近くのお寺に行き、そこから巡回して全長約100kmで、所要時間は3時間30分位である。お寺さんでの時間を20~30分みると、2時間30分位、昼食を何処かのお蕎麦屋にでも入ってゆっくりとって、丁度一日で巡拝出来る。
お正月は観光バスなどで混雑しそうである。
季節にのんびり花などを見に行くのもよいかと思う。
写真とご朱印をそれぞれに入れようと思ったのだが、ブログに入らない。残念。どなたか教えて下さい。
遠州七福神巡り
はじめに
遠州三十三カ寺を巡拝していて、遠州七福神のあることを知った。巡拝してみよう。
七福神は古くから知られている福の神で、遠州七福神巡りが始まったのは、1978年(昭和53年)頃かららしい。 磐田市 森町 浜岡町
遠州の寺社が霊場巡りを設定した後は、旅行代理店などのツアーにも組み込まれ一月の初詣には一日にバスが何台も訪れるという。
私が巡拝したのは1997年(平成9年)の1月、2月のことである。
私は所謂有識者と呼ばれている人達が、日本を悪くしている様な気がしている。
有識者とは知識を持っているのか、見識を持っているのか、常識を持っているのか。
何処かの大学の助教授であったり、○○連合会の理事であったり、諸々である。
その人達が諮問者の意向に沿って諮問会議や改革委員会などで答申案を纏め答申書を提出する。当然報酬は貰うし、答申書を出せば後は責任がないのである。
ゆとり教育が良いといって実施し、三年位しか経たないのに、学力低下があると言って又変える。
ゆとり教育を答申した有識者はもっと反論すべきである。お金にならないから駄目か。
もっと酷いのは何処にもある教育委員会である。何をやっている所だろう。
自分達の保身と文科省の通達を学校に伝えるだけの所か聞いてみたい。
更に悪質なのが、高校の校長である。父兄も悪である。
決まっていた履修科目を教えていないで、当然でよいことをしている様なことを言っている。教育現場で決まったことを守らないで教育をどうするのか。それでも責任は問われない。
父兄は自分の子供が受験に都合が良ければ騒がない。日教組は楽だから口を閉ざす。
マスコミは話題だけは追うが、後のことはお金にならないから追い掛けない。
補修をやると言っていたがどうなったかわかったものではない。
すべて自分に都合がよければよしで、そのくせ格差社会と言って騒ぐ。
何か狂っていて、全く不可解である。
ペコちゃんが泣いている。
老舗、不二家は報道による限り、想像を遥かに超えたどうにもならないメーカーであることが分かった。食品、食品の製造を何と考えているのだろう。
社長の会見(辞任した)、新社長の会見、報道担当責任者の会見、品質保証責任者の会見(品質保証部門はないのかと思ったらあった)。余りにもひどい。
何にも分かっていない感じがする。代わってやりたい位である。
かって現場に一度も立った(行った)ことがないのでなかろうか。
食品の製造にも ○○の法則 は当てはまる。不二家以外にはないことを祈るしかない。
日本を悪くしている要因の一つにテレビがあると思う。テレビ局は何かあると報道の自由だけを主張し、朝から夜中まで、大半はお笑い風、タレント風の人達が騒ぎたてている。酷いのになると、関西テレビの様にデータを捏造してまことしやかに放映している。
おかしいと見抜いた週刊誌に拍手を送る。
一つ表面に出たということは、そのかげに何十、何百ものものが隠れていると言ってよい。○○の法則である。
もっと酷いのは捏造の番組をそのまま信じて、納豆が品薄になり納豆業界で慌てて大増産したと報じられている。視聴者も視聴者である。総ボケになりつつある。
飽食していて痩せたいとは。どこか狂っていて滑稽である。俄かに増産し、直ぐに売れなくなった納豆は何処へ行ったやら。
関西テレビの親会社も、テレビ業界も根幹には触れないで、なりをひそめて黙っている。
天国から此岸へ帰ってきたひとが一人もいないから、訊くわけにはいかないが、此岸
から彼岸へ三途の川を渡り切ると、直ぐに閻魔大王の前に出る。
大王は閻魔帳にちらっと眼をやりながら
“汝、現世で良いことをして来たか。悪いことをして来たか?”と問い質す。
「良いことも余りしていませんが、悪いこともそうしていません」
“よし、こっちへ行け” 舌を抜かれなくて済んだ。
指し示された方に行くと 極楽への道しるべがでていた。
地獄に突き落とされて、真っ赤な火焔の責苦を受けるよりはどんなによいか。
しかし苦がなくて、楽を極めるというのもねえ。
“何か言ったか” 「いいえ」。
冬の陽だまりでのまどろみの幻想。
私は五十路に入ってからふと「見えないものをみる」ということに気付いた。
それから石仏巡りや寺巡りをはじめた。
遠州三十三観音巡礼の旅
北陸三十三観音巡礼の旅
西国三十三観音巡礼の旅
国東半島仏の里巡り
臼杵深田の 里巡り
遠江三十三観音巡礼の旅
遠州七福神霊場巡り
四国八十八霊場巡礼の旅(途中)等など。
現時点で、その紀行文を略纏め上げてパソコンに入力した。
昨年暮れにスキャナーを購入したので、それを使ってその寺々や石仏の写真を纏めて添付出来ればよいと思っているのだが、結構大変な作業になりそうである。
息子夫妻が子供を連れて墓参りに行きたいと言うので、私達は平成16年以来3年振りに行くことにする。連休中日なので、安全をみて車で行くことにする。
7日、7時30分に自宅出発。途中でガソリンを入れ、浜松インターから東名高速に乗り大井松田で下り、海岸に出て西湘バイパスに入り鎌倉由比ガ浜、逗子葉山を経て三浦半島衣笠にある大光寺へ。11時30分に到着。
孫達は初めてである。持参したお花をあげ、線香を手向けておまいりする。“初めてだから大きな声で名前を言わないと誰だか分からないよ”。孫、ひ孫のお参りに喜びなさっただろう。
それから今度は海岸線に出ないで、逗子、鎌倉材木座に出、鶴岡八幡宮への参道を抜けて北鎌倉に抜ける。浜松では想像も出来ない凄い人出である。
やっと成福寺に到着、ここはポンプ汲みの井戸が残っている。孫達は初めて手押しポンプを使って水をくみ上げる。又お墓にお花をあげ、線香を手向けておまいりする。
孫達は本堂に入ってかねを叩く、澄んだ音が響き渡る。曾祖父母も喜びなさったことだろう。
帰りに西鎌倉にある私の弟の家に寄って、江ノ島に出、西湘バイパスに入り大井松田から東名高速に乗り19時に自宅に戻った。家でみんなで夕食。お疲れさま。
これで今年の松があける。 よかったな。
庭の松の緑、千両の朱、万両、南天の赤い実、さざんかの赤い花に囲まれて、正月をゆったりと過ごす。 有難いことである。
酒は越後の純米吟醸「八海山」
ゴルフは朝一番スタートの「初夢杯」 しあわせ。
皆様もよい年でありますように。
年末の私の仕事としては、庭に降り積もった落ち葉の掃除と、正月の飾り付け、神棚と仏壇の掃除位である。
全部終わってほっとしていると、今月2度目の訃報が入った。
兄弟の縁故の人である。昨日横浜で行われた葬儀に出席した。
白い菊の花と色物の花で埋まった棺は短い時間で灰になった。あっけないものである。様々な想いを残して。
妻に先立たれている夫の死は寂しい。そして子供のいない人の死は更に寂しい。
健康なうち、健康なうち!
生きているうち、生きているうち!
まもなく新しい年を迎える。
今日は袋井コースで素敵な女性3人と今年のゴルフ打ち収めをやった。
前半45、ひょっとしたら80台がと思いきにそうは問屋がおろさない。
昔、昔女性3人と回っている殿方をみて、どんな方なのだろうと思ったことがあるが、
今は自分がその立場になって、お互い楽しんでいる。考えもしなかったことである。
スキャナーのメドがついてきたので、最初に寺巡りの旅紀行文に写真を添えられれば、紀
行文と写真帳や朱印帳を別々に出して来て開いて見なくても済むし好都合かと考えた。
ではと、パソコンの旅紀行文を出してみて仰天した。昨年やっと自分で前に行った所の紀
行文をメモや資料に基ずいて纏めたのに、消えているではないか。頭が真っ白になる。
どうしよう。何十年間ものものを、再度同じ様な感覚で書くことが出来る訳がない。
やっとそうだ! 紀行文が出来る度に送っていたmさんがいる。
ひょっとしたら保存されているかも知れない。一縷の望みを託してSOSを発信した。
気になっていて翌25日の早朝4時に眼が開く。直ぐにパソコンを開けメールを見てみる。
「よかった。残っていましたよ! 」のタイトルが眼に入る。
やったあー。mさんに抱き付きたい気分になる。見てみるとタイトルがつけてあり、きちん
と編集の手が加えられていて、元のものより読み易い。
しかも直ちに送って頂いた。何というひとなのだろう。恥じずに送っておいて良かった。
最高のクリスマスプレゼントを頂いた。ありがとう。
今日scannerの初トライをやってみた。
まずパソコンで、ソフトウェアーCD-ROMからソフトウェアーをインストールし、次にスキャナーの電源を入れ、スキャナーとパソコンとを繋ぎ、取り扱い説明書に従って本の2ページをトライしてみた。
次に古いプリント写真を一枚トライしてみた。何れもパソコンのマイピクチャーに保存された。
何と保存された写真は「画像の編集」でトリムも大きさの変更も、明るさの変更も自在に出来るではないか。驚きと感動であった。今度写真フィルムからのトライをしてみようと思う。
保存するだけでも大変そうなのに、それを活用しようとすると一大イベントになること間違いなさそうである。スキャナーについては何も聞いていないのが残念である。
今日、自分へのクリスマスプレゼントとしてScannerを購入した。
更にやることが増えるのも知らないで。
でも旅紀行に古い写真やスケッチを加わえられると、もっと楽しくなるのではなかろうか。
飲み歩き紀行に古い写真が入ると、雰囲気が出るのではないだろうか。
ゴルフ日記に昔の写真が入ると想い出が蘇るのではなかろうか。
夢は限りなく広がるが、そんなに思い通り出来るかな。
袋井コースで初めて出会って、それから12年間も家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いたH氏が66歳の若さで亡くなった。
H氏はシングルプレーヤーになり、多い年は毎週一緒させて頂いた。最後にご一緒したのは今年の4月26日であった。
奥さんが“もう一度グリーンに立たせてあげたかったのに、かなわなかったの”と言って涙を流した。
お子さんがいないし、ぽつんと奥さんがひとりぽっちになる。生きるって切ない。
その1.
11月30日に浜松駅前の名鉄ホテル14階でsitcの懇親会が中華の昼食を挟んで開かれた。
テーブル席は抽選で決定。受講の教室が違うため知らない方も見受けたが、大方の方は存じている。
会場は、いつもの教室とは異なって、ちょっとおしゃれした装いに彩られ華やいでいた。
全員の簡単な自己紹介もあったし、新たな発見もあって特に女性との輪が広がった様に思う。
その2.
12月7日、舘山寺、サゴーロイヤルホテルでkitcの懇親会が開催された。こちらにも参加。
可美公民館前に集合、マイクロバス2台で舘山寺温泉へ。
到着後一時間程周囲散策、内浦や、舘山寺。足湯に浸かるひと、写真を撮るひと、舘山寺鐘楼に登ってお金を払って鐘を撞くひと。私は一年ぶりに山の中腹の観音像へ。
昼食は畳みの大広間で和食。ビア、お酒も出る。
お隣に座ったクラスメートの女性がお酌して下さる。ウフフ。ここでも新たな出会いや発見があった。
クラブの中で初めてゴルフをやられる女性に出会った。私のすぐご近所のお嫁さんのお父さんがクラブの同じ教室のクラスメートであること、又すぐ近くのピアノ教室がお知り合いであることなど。世の中狭いんですね。
公民館、自宅間は、お酒を飲まれるからと、往復ご近所のクラスメートの奥様が送迎して下さる。ありがたいことである。
みなさんに助けられてパソコンを学べているのである。
プロ野球巨人は今年も下位に低迷し横浜と最下位を争っていた。
シーズン初めは清原が抜けて好調であったのに、未だ桑田や工藤が残っていたから勝てないのである。
桑田は終盤自分の事をホームページに書いたり、原監督に会ったり、筋違いのことをやり、今度は米大リーグに行きたいと言っている。日本でも勝てないし、出れないのに。
かっての大投手であっても、出処進退はキレイでありたい。
「進む時は人まかせ。退く時は自ら決せよ」である。
10月22日(日)、午前は花の舞酒造、午後は浜松マンドリンクラブ所属のお友達のお誘いで、アクト中ホールに浜松マンドリンオーケストラ第三十三回定期演奏会を聞きに行く。午前に続いてここも13時30分開場まで列に並んで待つ。マンドリンの低い音色は何とも優しい。
音楽オンチの私は、指揮者と演奏者を常に見る。演奏者が指揮者を見ていると演奏者の手元が一瞬狂わないだろうかと心配する。ましてトライアングルとかドラム。チンとかドンとか。
バイオリン独奏 山村妙子さん。 G.プッチーニ、W.A.モーツアルト、J.Sバッハのクラシックも良いのだが、たまにはアンコールで軽快に古賀メロデイの「丘を越えて」などをやってくれるとよいと思うのだが、クラブには柔軟な頭の持ち主はいないらしい。
パソコンの女性友達から10月22日(日)、宮口にある花の舞酒造で蔵開きがあるとのお誘いを頂いて、初めて連れて行ってもらった。9時前に着いただろうか、車は係員の指示で農協の広場に楽に置けた。早く行かないと駐車場が一杯で置く所がないのだそうだ。勿論飲む人は運転しない鉄則である。花の舞酒造の前は既に長い列が出来ていて、昨日に続いて開場まで待つことになる。 道の正面には金剛山と書かれた山門が見え、大きな本堂が見えた。庚申寺と書かれてあった。広い境内全体が蔵開きの第二会場になっていてそちらにも別の列が出来ていた。寺前の広い道路の両側は門前町の様相を呈していて、どの店も売り出し中、路上には様々な露天や地元の市が並んでいる。あとで分かったのであるが、お酒のつまみになるものが圧倒的に多かった。ゆでた枝豆、鮎の塩焼き、お豆腐から漬物、ウインナーまで。 10時開場、係員から花の舞と書かれたグラスが一個ずつ配られる。テントの下で、花の舞と書かれた法被を着たお姉さんに甘酒は紙コップに、お酒は先程のグラスに注いで貰う。敷地内には幾張りものテントが張られ、長机が並べられている。そこに場所を確保して、用意して来たつまみを広げ、グラスを置いて飲むという仕組みである。早く行かないとその席にもありつけないとのことである。私は知らなかったので友達が用意して来たつまみを頂きながら酒を飲む。お酒のおかわりは自由である。
何と、門前の道路や会場内を、チンドン屋さんが懐かしいリズム、音色で流して通る。やったあー! 帰りはお友達に自宅まで送って頂いた。ありがとう。
ゴルフ友達に10月21日(土)、はまホールで越中おわらの夕べがあると聞いて、当日かなり早く行くと、もう当日券売り場に30人程の行列が出来ていた。 会場入り口には前売り券(完売)を買った人の列が50人程出来ていてびっくりする。 16時30分売り出しの当日券を買い、会場入り口の列について又待つ。17時会場、同30分に開演、本場富山県民謡保存会諏訪町支部の皆さんによる踊りである。女踊り、男踊り、豊年踊りの解説も実演つきで聞けた。久し振りに聞く胡弓の音、町が100倍の人で膨れ上がる八尾で見るのも良いが、浜松にいながら座ったまま見、聞くのもよいか。肴町で町流しがあるというので、二階から見ることの出来るスナックに陣取ったが、雨が降り出してきて中止となってしまった。残念。
<叙情豊かで哀調と優雅な歌と踊り>である。
10月9日、秋晴れの暑い位の日に広沢小学校で、2年生の孫(青空)の運動会があった。何十年振りかで広沢小の校庭に入った。沢山のそれぞれの家族の絆っていいなと思う。
青空(女の子)は50m走で3着であった。何故か自分が小学生の運動会でスタートラインに立った時のドキドキが蘇えって来た。
時代は変わってビデオ、カメラの放列。運動会の話しに花が咲き、みんな元気に育ってくれるといいな。
10月14日、秋晴れの下、幼稚園年中の孫(さくら、男の子)の運動会があった。幼稚園の先生は大変である。特に年少組、歩かなくて抱っこする子、ゲームにむずる子、走らないで泣き出す子。でも大勢のそれぞれのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんに支えられて。家族っていいな。
孫は年少から年中になって、おとなしいが明らかに成長している。祖父母と一緒の玉入れゲーム、出た色組(赤)が勝った。バンザーイ。お片付けの早さは白組の勝ち。バンザーイ。みんな健やかに育ってくれるといいな。
作曲家 市川昭介さんが亡くなられた。
都はるみを育てあげた方としても知られている。
*アンコ椿は恋の花 昭和39
*涙の連絡線 昭和40
*大阪しぐれ 昭和55
*夫婦坂 昭和59
歌は苦手だが、いずれも私の好きな曲である。
白露を過ぎても残暑が厳しい。
でも作物は種まきや植え付けの時期によって、後の生育に微妙に影響を及ぼすのである。苗屋さんは年々店頭に並べる苗の時期が早くなっているので、要注意である。
ここの所連日雨降りの予報が出されているが、全く当らない。確立ゼロである。
でも暑さにめげず今日大根の種を蒔いた。育ってくれることを願って。
縁あって、今月から舘山寺街道の狸坂から東へ500m程の所に、50㎡程の畠をお借りすることが出来た。富塚町であるが、西山町との境界に近い所である。
土に触れる生活は大事と思って今までもやって来たが、新しい所でうまく出来るだろうか。作物は愛情であると言って来たものの、段々三本鍬で耕すのも難儀になって来ている。
間もなく冬野菜の種を蒔いたり、植えたりしないといけない時期である。乞うご期待である。
私は或る女性の指導と励ましを頂いて、自分史の一つとして「飲み歩き紀行文」に取り掛かり、8月で完了した。
日本各地の印象に残っている飲み歩きと、居住する地方都市の飲み歩きの紀行文である。
公開するものではないが、終わってみると大変貴重なものに見えて来る。
惜しむらくは写真の殆どないことである。
子供達の夏休み後半(28日~31日)の、ラジオ体操会に通して参加してみた。
朝早く広場まで歩くのは気持ちがよい。
しかし体操の両足とびや片足とびになると、途端にこたえる。日頃もっと運動をしないといけないと痛感する。
誰かさん達の様に屋外コンサートに行って、両腕あげて飛び跳ねるなんてとてもとても。
うーん。
私は佐鳴台にあるボランティアのパソコンサークルに入って教えて貰っている。
サークルの大半は女性の方で、皆さんお若いしよくお出来になる。私が女性と机を並べて学ぶのは小学校中学年の時以来である。
恐らく私が最高齢者なのではなかろうか。手を上げてアシスタントの女性に見て貰うのは何でもないが、こんな筈ではないと自分が自分に情けなくなることがある。
”メモしないでよく聞いていて”とよく言われるが、聞いているとその場では分かった様に思っても、後でフォローが全くきかない。メモしているとその分遅れる。
こんな筈ではないと投げ出したくなる。家に帰って、気を取り直してやってみる。時間の掛かるやり方かも知れないが、何とか完成出来る。
こんな筈はない。歳かな。 こんな私をリーダーさんや出会えた多くの素敵な女性が支えて下さっている。ほんとうに感謝である。
今日は久し振りの月例ゴルフコンペで、七時台に出掛ける。ゴルフ場に着くといつも早い Iさんが見えないし、T子さんの姿も見えない。Sさんがいて、いつもと違う、騒がしい人と回るのもねえと言って思案している。後は埋っているし、結局やめて引き返した。
今日は火曜日、ならばパソコン相談会にと行ってみると、部屋が確保出来なかったとの事で狭い所で10人近くがひしめき合っていて、入る余地がない。またやめて引き返した。
こんな時はそっと静かにしている方が無難だと思って、デジカメ講座の宿題写真集を見ると、私の送付ミスの写真まで全部載っているではないか。ああ今日はついていない。
皇太子妃の雅子さんが、オランダまで静養に行かれるという。本当にお病気ならオランダあたりまで行ける訳がない。
駄々っ子が駄々をこねている様にも見える。額に汗して働いてみると「ふっと」何かに気ずいて治るかもしれない。それにしても実母は何をされているのだろう。素朴な疑問である。
新党日本の代表であり、長野県知事だった田中康夫氏が知事選で敗れた。
打ち上げ花火の様に、自分と長野をP.Rしたが、知事を逸脱していた様に思う。打ち上げはよいが、何割かは実行して行かないと。言うだけなら誰でも出来るのだから。
東海地震対策の一貫として一躍注目を集めたテクノスーパーライナー(TSL)防災船「希望」が累計100億も投じ、何の働きもしないまま、更に何億円も掛けて廃船、解体するという。
誰が諮問し、誰が発案したのか経緯をよく検証する必要がある。石川知事は都合が悪いことは隠すからな。三菱重工は悪の代表で名を連ねている会社だから、開発に力を貸し儲けを手助けしたのではないと思うが。でも一番利を得たのは三菱重工である。
今年も61回目の終戦の日がやって来る。戦争のことを語り継いで行くのは極めて困難である。話しとして頭で分かっても、体験がないから、身体で分からないからだ。
韓国の国会議員の人達が日本の靖国神社に来て抗議している。どうかと思うが、分からないでもない。私が小学生の頃、朝鮮から日本に徴用されて来て、重労働させられていた朝鮮人が、”朝鮮人、朝鮮人とてパカにするな”と言っていたのを、今でも鮮明に覚えている。
戦争を知らない世代の人達が余り勉強もしないで、靖国問題を議論している。笑止である。
今になって元宮内庁長官のメモに、昭和天皇の意向と推察出来る記事が書かれているとかで、話題になっている。
当時の憲法では天皇は象徴ではない。東京裁判でA級戦犯になった東条などの上で、中心となっていたのが昭和天皇で大元帥閣下だったのである。責任は極めて重い。(当時の写真を見ても分かる)それがA級戦犯が合祀されたから、靖国に行かれなくなったとな。これでは天皇陛下万歳と言って、お国の為に命を落として行った何百万の人達が浮かばれない。私の従兄弟もまつられている。
マスコミも有識者と言われる人達もこれについては、口を噤む。何故なのだろう。他のことについては報道の自由と言ってがなり立てるのに。
7月は元々いた会社で昭和44年までに同じショップで仕事をした仲間の二年に一回の会合(今年で六回目)が横浜であって出席した。年齢も昭和44年以降の職位も、実に様々であるが、懐かしい顔ぶれに出会うこともある。一瞬にして50年も前に戻る。エンジニアだけあって、当時の仕事の話になると止まらない。
月末に浜松の元いた会社の夏祭りに招待されて出席した。もう辞めて十年近く経っているのに、こちらも懐かしい顔ぶれに出会うことがある。結婚して子供を連れて里帰りし、遊びに来ている女性にも会う。当時入社したばかりのひとが課長になっていたりして面倒をみてくれる。
私はいずれも、良い会社で仕事をする事が出来て、幸せだと感謝している。
今日山手町自治会で公園の草刈りがあり出席した。こちらも平成12年まで役員をやったことがあり、地域の人の懐かしい顔ぶれに出会うことが出来た。感謝である。
さて8月はどんな出会いがあるだろう。
天下のNHKが職員の何十億円もの使い込みで、受信料の不払いが発生した。
そのNHKがこともあろうに、情報管理が駄目で長年のクレーム隠しをやったトヨタ自動車の、その情報管理担当の専務取締役を”初の民間理事”として向かい入れるという。仕事は駄目でもそんなにトヨタの名前が欲しいのだろうか。類は類を呼ぶ。世の中うまく出来ているものだ。
日本のトップ企業、トヨタ自動車がやっと商品の欠陥を8年間放置し隠したとして、国土交通省に報告書を提出したらしい。記者会見も行われた。
国交省の判断では、トヨタ社内でのトラブル情報の共有などが不十分だった結果、リコールが遅れたと判断したらしい。同省によるとハンドル操作が出来なくなるトラブル情報が何十件も寄せられていたのに、社内の連携不足からリコール担当部署が把握していなかったのだと言う。オカシイと思う、なれあいもいいところという感じがする。
トヨタ自動車の渡辺社長は、トヨタの責任には全く触れないで、「品質のトヨタ」の信頼を早期に取り戻すと強調した。笑わせる。国交省の判断が正しければ、品質以前のトラブル情報が社内に伝達出来ない仕組みをどうするのかだ。トヨタには営業にも品質保証部にもパソコンを置いていないのだろうか。それとも都合の悪い情報はインプットしないでメモ書きなのだろうか。情報開示をきちんとやって貰いたい。日本のトップ企業なのだから。
トヨタ自動車が国交省に報告書を提出して、形ばかりの記者会見を開いた。マスコミは殆ど質問もしない。奇異に感ずる。
パロマの記者会見では質問が殺到した。
商品の欠陥で人の命が奪われることには変わりないのだが。どちらも悪質である。
日本の大企業、三菱重工業は様々な業種で談合を重ねた悪質企業であり、関連の三菱自動車もリコール(回収、無償交換)隠しをやったもっと悪質企業であると書いた。
トヨタ自動車と言えば日本のトップ企業で、世界でも有数な企業である。金儲けがうまく一名トヨタ銀行とも呼ばれている。経済界、財界にも多数の人材を送り込んでいる。そのトヨタ自動車の長年の歴代品質保証部長ら三人が、車両の欠陥を知りながらリコールを怠って人身事故を引き起こしたとして逮捕された。トヨタ自動車は、名声の上にあぐらをかいて、公表もしないし、記者会見も開いていない。傲慢である。マスコミも何を恐れてか、三菱自動車の時程追及しない。
トヨタ自動車は金儲け優先で品質は二の次の姿勢が見える。品質保証部長は自社製品の欠陥で人身事故が起きていても、上司の品質担当役員に報告しないのだろうか、担当役員は役員会に報告しないのだろうか。事実なら品質保証の仕組みの上で重大な欠陥がある。トップ企業だけに、最も悪質である。事故は前輪の車輪と車輪を結ぶロッドの破損とか。タイヤを結ぶ棒が折れれば舵が切れない、曲がれない。
松下電器産業(ナショナル)のファンヒーターか何かで欠陥が見つかった。松下電器はテレビでも欠陥商品の発見を呼びかけたし、各家庭にもチラシを配布して欠陥商品の発見に努め対応した。家電製品ならナショナルだと思った。日本の優良企業である。
昨年は堀内という何もしない監督が、怪我でしょっちゅう休む横柄な清原に4番を打たせていたからである。今年は原という監督に代わり、清原が居なくなって初めの内はトップを走っていたが、既に自力優勝は消えた。ポジションも打順も日替わりメニューで変更し連携も安定もないからだ。その上、いつからいるのか分からないような桑田や工藤という投手に期待を込めて投げさせているからだ。かっての大投手であっても今は違うのを本人も監督も見えなくなっているのである。個人の記録達成援助ゲームではないのである。
監督が気付かないと、そして桑田や工藤も自らを見つめないと、このままでは最下位転落も夢ではない。
談合汚職は国であれ自治体であれ、常に繰り返し起きている。発注側にとっても受注側にとっても、楽して儲かるオイシイ仕事だからである。
ゼネコン汚職、道路公団の談合、公共橋梁工事の談合、○○処理場建設の談合、防衛施設庁の談合汚職、あげればきりがない。発注側は情報一つで見返りがあるし、天下り先が確保されるし、受注側は何もしなくても、仕事が貰え分配できるし、入札価格ぎりぎりで入札出来、儲けは何十億、何百億となる。少々の天下りを受け入れようと、下っ端の逮捕者を蔭で面倒みようと、めじゃないのである。
○○団体、○○組合、○○協会、○○工業会、○○倶楽部、はいくらでもある。発覚するとトップは立ち上がって頭を下げ、再発防止に全力で努めますと同じようなことを言う。全力で再発防止にに努めれば、同企業が名を連ねることはなくなると思うのだが。
日本を代表する大企業が名を連ねている。でも会社名は秘匿される。HPをみてもかってわが社はこんな談合汚職で摘発され逮捕者を出しましたなどと出ているのを見た事がない。東西談合汚職番付けを作ってみたらどうだろう。
三菱重工業など、どの業種の談合にも顔を出しているので、三役に入るのでなかろうか。関連の三菱自動車は自分が製造した製品の不具合についても、隠して蔭で修理しているのだから言い様がないか。
メガバンクの頭取なら出来るかも知れない。
預け入れられたお金の金利はゼロにする。そして高利で貸し出す。それでも不良債権が増えて少し危なくなると、形だけ頭を下げて公的資金(私達の税金)を注入して貰い、貸し渋りをやり、ひたすら景気の回復を待つ。少し景気が回復し、株価も上昇して不良債権が減って来ると、あたかも自助努力で改善した様な顔をして、いつまでに公的資金を完済するなどと言って済ませればよいのである。
公的資金を注入して頂いて大変あり難かったとか、国民の皆さんに些かでも還元したいなどとは言わないで、当然の顔をしていれば済むのである。
これは小銀行では駄目で、メガバンクでないといけないのである。これなら頭取なら出来るかも知れない。メガバンクの一つ位潰してみてもよいのに。みんなで渡れば恐くない方式ではいつまでたってもぴりっとしない。
「叩けば埃が出る」とはうまいこといったものだと感心する。世の中を善と悪で仕切った時、悪側域に生活している者に対して使う用語らしいが、何と沢山埃を持っている人の多いことか。マスコミにちやほやされ世の中のリーダー的存在の人は殆どこの悪側域に入っていると見てよかろう。”金儲けが悪いのか”とうそぶくMファンド、六本木ヒルズ族、お金さえあれば何でも出来ると思っている。そのファンドに投資して蔭で儲けている日銀総裁。それを追求する筈の民主党の役職議員さん、その関係筋から秘書給与を肩代わりして貰っていた。民主党党首も身内には何にも言わない。他党だと大騒ぎする。そういう人達は裏でみんな繋がっているから、口だけ反省と言うが自らは絶対に止めない。マスコミも叩かない。もっとひどいのは日歯会から一億円の献金を受けたのを覚えていないという元総理である。こんな人が総理だったかと思うと恥ずかしい限りである。大学教授が研究助成金をちょろまかす。少々の金額ではない。学長は何をしているのか。
お金はなくては困るが、金の亡者にはなりたくないと思っている。有名人、有識者でない方がまっとうなのかも知れない。
前にも、一度減り出した出生率は容易なことでは上がらないと書いたが、偉い先生方にはよく分からないらしい。相変わらずお金で対策しようとして児童手当の増額だの何だのとやっている。原因が分かって対策しないと何にもならない。
社会保障審議会の人口部会で慌てて、予想を上回るペースの少子化で、将来推計人口の見直しをやるという。一方国立社会保障・人口問題研究所なるものがあって、推計人口には出生率の予測値が使われていると言う。この予測値がいい加減ではどうにもならない。審議会、研究所の先生方はグラフの目盛りを小さくして、一次直線でしか予測出来ないらしい。目盛りを大きくして二次曲線を画いて見ると驚く様な傾向が見えてくるのだが。
もっと大胆な幅を持たせた予測で、推計してみたらどうだろう。次回から審議委員の仕事が来なくなるって、そうだね、責任はないんだしね。
パソコンを入院させ治療して、DVD-RAMへの書き込みが自由に出来る様になった。気を良くして一気に整理保存し、デスクトップのアイコン数も一桁にした。ついでにパソコン内のマイドキュメントも整理し、大半を削除してせいせいした気分になった。
ところが今日前期最後のNETの講義があった。「踊る署名」作成である。DVDは外していったし、写真や資料を出すに出せない、結局聞いているだけになってしまった。やらないとと言われても出来ないのである。そうだよな。 自分でも笑えてくる。過ぎたるは・・・。
これからDVD-RAM又はCD-RWでデータを保存する方のために
DVD-RAMを挿入し、
マイコンピュターをクリック、DVD-RAMと出たら右クリック、プロパテイクリック、書き込みクリック、このドライブでCD書き込みを有効にするのチェックを外す、OKクリックで書き込める。同様にして、
CD-RWの時は、このドライブでCD書き込みを有効にするにチェックを入れ、OKクリックしないと書き込みが出来ないので注意すること。
17日にパソコンが入院し22日に退院した。理由はCD-RWやDVD-RAMに書き込みが出来たり出来なかったりしたからである。FUJITSU曰く、DVDマルチドライブの不具合が確認されたので、交換しOKとなったとのこと。はじめからDVD-RAMなど使っていなかったから当初どうであったかは知る由もない。
CD-RWは書き込み専用であって一旦書き込んだファイルは削除出来ないのである。パソコンで習ったものを全部入れて置いて、何とか一つを削除出来ないかと削除をクリックしたら一瞬にして見事に全部消えてしまって、回復は不能であった。失敗の大事な例である。
メール画面に、赤い薔薇の花の入った背景を入れたら消えなくなって、メールを打つ度に不自由したので、今回ついでに診て貰った。こちらはパソコンショプでHotBarソフトを削除したら元に戻った。
自分で色々いじってみる、やってみるのもよいが、或る程度分かってからの方がよいかと思う。
高齢者の医療費が改正されて負担が増えた。財源が足りないと言う。
かっては食べられなくなった時点で寿命を迎えたが、今は色々な方法の点滴で栄養と水分の補給が出来る。そして更に酸素吸入、人工呼吸の延命措置が計られる。装置を外したといって医師が訴えられたりもする。意識のない人を一日も長く延命することが重要だろうか。本人の意識、応答が全くないのに、人工的に機械で動かし、機械で心電図の僅かな波動を読み取って、生きていると言うのである。機械装置が動いているだけなのである。
長年意識、応答のない人を機械で動かして、生きているかの様に見せかけている方が残酷でないか。 家族が装置を外してとは言いにくい面がある。つけた医師が勇気を持って外す事である。
有識者とか偉い学者さんは家族のそんな場面に臨場しないから、意識の無い人に本人の同意を得てなどと笑えることを堂々と言い、倫理などと持ち出す。恐ろしい倫理観の欠如である。 金儲け主義の医師会の手先か、設備メーカーの関係者か、長寿国日本を誇りたいのかと疑う。植物人間などとも言う、失礼だ。植物は自力で生きているのである。
私は全国に長年意識がなく機械によって生きていると認定されている方がどれだけ居るか分からないが、一年以上の人(機械)の装置を総て一斉に外してみたらどうだろうと思う。病院のベットは空くし、設備は空くし、負担費用はゼロになるし、医療出費は下がるし、医師は訴えられる心配はなくなるし、家族はほっとするし、良いことだらけである。
自然に従って生きる。が基本なのである。
入院すると、家族(ファミリー)っていいなーと、しみじみと感じる。
20時までの面会時間が過ぎて21時になると消灯になる。そこから時計が止まったかの様に時間が長い。ある時間毎に懐中電灯を持って看護師さんが点滴の様子を見に来られる位である。
健康で、お金も不自由しない位にあって、その状態で三日後に確実に死ぬとなったら、どうするだろう。往きつけの店でとびっきり美味しいものを食べるか、料亭で銘酒を飲むか、クラブで思いっきり遊ぶか、旅に出るか、絵を描くか、書き物をするか、女性にラブレターを書くか、そんな事は一切しないで、残したいものを選別するか、すべてを廃却してしまうか、一日中座禅と念仏の世界に入るか、普段の生活のままでいるか、何にもしないか。
それでも死ぬことなんかないと思うか。どうするかな、色々考えてみよう。
私は今月5泊6日の入院をし手術した。 夫が入院だと妻が寄り添い、妻が入院だと夫か子供が寄り添い、夫婦っていいな。お互いみんな分かっていて、その上で我儘言えることだ。
看護士って大変でも素晴らしい仕事だな!。”ありがとう”が何十回となく交互に行き交う病室。
段々良くなる。次第に良くなる。自然に良くなる。いい言葉だなと思う。
御蔭さまですぐにこうして投稿できることに感謝である。
ワールドカップサッカーに関してマスコミ、メデイアは騒ぎすぎでないだろうか。日本の初戦前も、初戦が済んでも、例えばどのテレビを見ても同じ時間帯に同じサッカー報道。しつっこく。もっとやることはないのだろうか。
しかも言っていることはまさかの敗退。日本語の意味がよく分かっていないのである。非常に高い確率で勝ちを予想出来たのに負けた時がまさかである。サッカー解説者もいい加減で、よく分かっていない。本音は隠してテレビに出ることだけを考え、日本が勝つ様なことを言い、負けると結果論として、気温が高く暑くて終盤疲労したとか。笑える。解説者として恥ずかしい。願望と事実は異なるのである。
私も日本の初戦をテレビで見た。はじめから攻められどうしでゴールキーパー川口の働きだけが光っていた。5~6点取られても不思議はなかった。日本が1点取った所でスイッチを切って寝た。結果はよく3点で押さえたと思う。
私も願望としては日本に勝って欲しい、然し彼我の実力をもっと冷静に分析する必要があるし、サッカー関係者はもっと真摯な態度で臨んで欲しい。 熱烈なサポーターさんのためにも。
今日、例年より少し早いが梅雨の前にと思って、キャタツを物置から取り出して来て、庭の豊後梅を収穫した。十数㎏あったろうか、昨年より量は少ないが、粒ぞろいのよい梅である。
大半は梅酒作りにまわる。梅酒大瓶で5本位か。後は欲しい方にお分けして直ぐに消える。かくして新たに3年ものの梅酒が食卓を飾るのである。
メダカでないが、日本の合計特殊出生率が2005年に1.25と過去最低を更新したと発表されている。少子化も人口減少の動きも予測数値より早いと言われていて、1県を除いて減少している。
昨年専従で少子化問題に取り組む大臣が生まれ、又得意の有識者委員会、政務次官による会合、その他ができた。今までにも対策は何度も発表されたが上向かなかった。
又何にも分かっていない有識者と呼ばれる人達を集めての委員会、笑える。経済支援だ、仕事と育児の両立支援だ。少々の経済支援で出生率が上がる訳が無い。経済的に困っていて子供が産めないのではないからだ。経費節減して少しでも先の年金に回した方が良い。
予測よりももっと早く最低になっていくと思う。大昔生物の先生に教わったことがある。"生物は一旦減少し始める